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それを待っている

ワン達のトリミングの日は朝から忙しなくなる。普段はのんびり起床するから。

夕寝時間も少しとったものの、生理絡みの体調は腹だけでなく、頭痛が出てくることが多いのもこの何か月かの特徴。

夕寝してても、枕として畳んで使っているタオルがとても固く感じ、頭をどの向きにしても長い事は落ち着けない。私の定期サイクル。

シャワーでサッと済ませたかったけども風呂を入れ、老山白檀の塗香を多めに入れてゆっくり浸かった。朝アップ分のnoteを書いて、就寝態勢を整えてベッドへ。


いつもの挨拶をして、「あー、やっと眠れる~~。」やっと、今日ここに辿り着いた感じ。

腹の痛みはないけども、基本的に腹部に右手を、左手は心臓に当てて眠る。呼吸はすぐに、とても大きくゆっくりと。

静かだから息の音しか聞こえない。その中にいる時間。

どちらも圧を感じない。(同じ圧)
息が止まっている間に浮かぶ、見える画がある。早い切り替え。パッパッと。”何?”と考える意思も湧かない。
止まっている時間。尊い。

空想的な描写をしているけれど、これは普通に現実世界で行っている事で。

見えない”氣”が意識下にあるかないかだけの違い。そして無意識にも人は”氣”を感じ取っている。

境界線。

「当たり前に区切っている」、と思っていて殆どできないのが人間。”つながり”が前提だから、”区切り”は意識しないと繋がった状態。

それに気づかずに、他人を見てどーこー思ってしまう。

心を配ってしまったら”回収”したくなるでしょう。誰かにさせられたのではなく、自ら心と言う”氣”を配った。そして回収したくて他人をどーこー思ってしまう。

全く関係ない、他人は。自分の心の動きを見る為に他人が登場している。

心が外に引っ張られた→戻す

本来は、「引っ張られた」でもないのだけども、自分の軸が細いとその表現になってしまうし、この言い方が分かり易い。

「自分に戻す所」に力が必要になる。人はどうしても大きいと思われるものに影響されてしまうから。自然と外へ行く所に力は働いていない、それは惰性。意識して行うところに、筋トレ要素が出てくる。


この筋トレが「自分軸の太さ」となるね。

繋がっている事が前提にあるから、「境界」を意識しないと繋がりっ放しになる。

逆に、「つながる」という事は、「繋がっていない」が前提にあるんだね。

選ばれた特別な人なんていない。みなが同じように「ただある」のみ。それを遮っているのは人間のアタマ。思考によって、繋がった・いないに切り替わる。

吸うは人の喜び
吐くは抜ける軽さ
そして止まる心地よさ
タマの喜びよ


こういう内容を、顕在意識側で捉えて、見えない側を理解しようとしてくれている方々、本当にありがとうございます。

どのように解釈されようと、各々の世界での発信に変える事で、新しい世界、流れができてきます。

この「流れ」すら既に決まっていたのかもしれない、「ある」を消化しているだけなのかもしれない。それはどちらでも良いのです。

「邪でない事」だけを私の無意識側に置いてありますので、そのカタチで広がる事はないと思って読んだり、視たりを楽しませて頂いています(*^^*)

「みなが自分のスタンスで表現する」

表現者、創造主。そこにカタチなど一切なく、評価・否定されるものでもない。自分の感じた事をそのままに。

生きているだけでクリエイター。




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☆うみのみか☆
応援チップありがとうございます。自然と学べる記事の提供で倍返しいたします!コメント頂ければ内容を盛り込んで記事として出力いたします。 共に学んで参りましょ~(*^^*)