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身体が変化中~

”こういう時”というのは、本当に普段は感じない、拾えない事がボンボン出てくるからそれは非常におもしろいと思う、痛さを感じていることや、それに引っ張られて出てくる心には、ほんとに嫌になるけども。

とにかく静かに、後に過ぎて行くことは「知って」いるので、ただやり過ごすだけ。それでも昨日はワン散歩中の足取りの重さ、ペースから、「漢方も考えとくか…」と思ったほど。

昨年使って効果を知っている、自律神経に作用するその漢方を最悪は頼ろうと思っていた。

こういう時は、心から「一人だったらいいのに」と思う。自分にしかエネルギーをかけるくらいしかしたくない、他の世話などきつくてたまらない。それ程に昨日の日中は状態が下がった。普段は考えもしない事がきちんと自分の中から出てくる心。

それでも同時に、いつもが一人ではこれまでの喜びも幸せも得られない事も知っているから一時的として、静かに流れるのを待つ。最後は薬もあるんだからと、抜け道も持って。

次々湧いてくるその中の一つ?をメモも合わせて書いていく。

・・・ ・・・ ・・・

毎度、毎回同じことになるけども。

”こういう時”に感じることがあるから、そこから展開していくよね。外から見れば、結果的には、これが「良く捉える」という表現になるかもしれない。あくまでもニアリー。

意識する事なしにただ状況から感じ取っているものの色々があり、そしてこの”色々”を拾う(ため)には、自分の価値観を一旦横に置いておく状態がある。通常この脇へ置くとはならずに全てを繫げたままの状態で拾うから、ただ”イヤな事”でしかないという理屈。


イヤと感じるものは勿論イヤという位置づけであるけども、それはソレとして、その状況から観えること拾う、拾うから観える。それにはスキマがなければ観えてこなくて、細かくあちこちと結んでそれしか見えない状態から外れて(ゆるまった)状態がなければ、他の色々は観えないというところ。

スキマに至るまでに、時間をかけて解いていった諸々の作業が、自分と向き合うこと、見つめること、対峙することetc。”作業”が身に付いていれば、コトが変わるだけで、やる事は基本的に同じなのだと思う。

そんな事を書いていたのだけど、この後の方が状態は強まっていたからキツかった。その後、ワン達の諸々も終わって静かにケージで眠る時間。「やっと自分に時間が使える」という状態になってから、頭重やダルさは見事に軽減される―――、noteに向かえる喜びも掴んでいる。

「状態が下がる」と表現した部分は、持っているエネルギー(量)が下がる(落ちる)という風に重ねて観えるのだけど、だから「自分」に集中する状態を強く欲している、という風に感じている。

その事をワン散歩中に考えていて、「余裕がない(状態)」というのは、それだけ自分に絞り込む選択(動作)を、必然的にするようになると確信。そしてそれは酷ければ(状態が強まれば)、自分の周りを、”その範囲で収まるように”していく選択につながると観た。そうしなければエネルギーが持たないから。

自分が感じている今その状態がキツイという事は、到底自分以外の他者のことをいつもの様に観る余裕が生まれにくく、「自分の思う範囲内」にすることで、エネルギーが広がるのをセーブする、という様に感じた。


これとは別に。

ダルい、疲労感、心身共にキツイ…。というのは、上記では”エネルギー不足”として触れているのだけど、実際にはどうかな?と感じる別の角度があったので。

そのネガティヴを「しっかり感じとれる状態がある」のだと思ったものだから。自分の中の状態を「感じる」というのは、ハタラキとして同じと思うので。ただ方向・質が異なるだけで、働いている状態は確かにある、と思ったものだから。

どういう表現になるかな、エネルギー自体は「ある」、だけど自分の使いたい所でそれが回っていない(回せていない)。違う余分な所で回ってしまっている、という様な…不必要な場所でエネルギーが高く反応してしまっている状態がある、という風に感じていた。


「ハタラキ」としてこの身体を通して、それらの情報をこの”私”が自覚できる状態になっている事は間違いなく、状態としては「私が望むものではない」という事はここから読み取れるわけなので、十分情報はこちらに寄越されている事になる。大変嬉しくないキツイものだったけども(笑)

何らかを通して、さっきまでの状態と違う状態にする(なった)事によって、頭の中で拾われるものがしっかりと反転してしまう。これがほんの少し前に「ほんとに嫌になるけども」と書いた同じ人物、という事なのだから人はその機能、ハタラキ方の向き、熱の位置・流し方によって、まったく別人のようになってしまう、というもの。

例えば頭の中を、”ココ”という所で明確な動きが欲しいと思っているような状態が、静まっていて欲しい部分が予想外に活発に動いてしまっている状態ができてしまった。


そんな事が起きれば、”私”にとっての想定外で、その想定外がまたさらに次の想定外を生み出し加速する。なんて事になると、”私”はとてもついて行けない…「キケンキケン!自分の範囲に戻って!!」と言わんばかりの連ちゃんと遭遇する。

人の持つ幅は、望む望まないとを不問にすると、結構大きな振動を上下に持つことができる。しかも短時間(期間)なので、急激な上下変動という事になる。

これはとてもとてもキツイと私は思うので、その大きな幅を得るにも、横とでバランス=時間をかけること、で延ばすようにするとムリも負担も少ないだろうと思う。

・・・

身体のダルさは多少残るものの、noteしている間に状態が変わっている事も拾った。本当にそんな事が起きてしまう。

エネルギーを温存したいから、”私”に収まるような思考・選択をする傾向が強まるのだけど、実はそのこと自体が余計に”私”を際立たせ、結果的に苦しさを増幅させてしまうような時があると思う。

解放されたいからそうしているその事が、自らを余計に縛るならそれはツライこと。だけど、そういう時はこの自分にエネルギーを集めているから、緩めることがとても難しいと感じた。

緩めようとするのでなく、やはり「結果的に」そこへ行くような選択により、自然とその状態から解放されたという事が苦労が少ないと思う。”私”に集中した状態でなく、なにか”コト”に入ってしまう集中状態が、自然と私自身から解放された状態を作っているのだと思う。


追)
この後、夕寝前に少し調べていて、更年期症状の中に「腰痛」がある事を初めて知った。前知識を持っていない為、更年期症状と腰痛がナゼ関係するのかを知らなかった。

ホルモンの変動(エストロゲンの減少)により、「関節がスムーズでなくなる」という事からくるもの。頭痛や腰痛の頻度が高くなっている事の要因が、そこにあることを知った。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!