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”結びつき”を変える

「それを超えると思いの持ち方がパワーそのものーー」
サクッと書いて行きます。

ザックリひと言で書けば、「空間を替える(次元を上げる)」という様な表現にする事ができると思っている。

”それを超えると”と書かれている「そこまで」の区間は、まったくその様にしようと思っていなくても、自然に連なりを追うかのような”横軸の”連続を走るように「具体的な」世界で処理しているわけだけど、その横の連続から抜けて別の処理へ次元を切り替えて(上げて)しまう。

具体的に「そうある」事の中で、その決まり、パターンなどに従う状態にあるところでは、そこにハマって考えつつ。訂正・変更などが必要であれば、そこは変えていくという”通常の”、人の行いをする(繰り返す)。

これは言葉では細かく書けないのだけど、人の生活する世の中において、具体的な物事への対処対応は必要なこととは認めつつ、だけど大きな世界とは、いつも”個”の思いだけで変えられず…、”個”として思い考えるその次元にある事が諸々の「元」になってしまっているという事から考えると、次元を替えて動き方が変わる事で、結果的には具体的な次元に変化をさせていくということ。

言葉を分解して書くならば、次元を変えて「動き方が変わる」というより、自分の「意識の保たれ方が切り替わる」ことで、コトの受け方捉え方などが変化して、意識は具体的なことに張り付いた状態でなく、切り替えた所に置かれたまま、いつもの様に具体的な世界をこなしていく、という状態になる。


今までとほとんど同じように、思ったり考えたり、何かの動きをしている―――、ではどこが変わっているのかといえば、自分の中に無意識に設定している”状態”。外の何かに対して取る自分の在り方・接し方。

その目に映っているそのもの・ことに時間や労力を消費し過ぎて、その次元で直接に触ろうとする事が人の行いとしては多いのだけども、関係性で成り立つ”外”を直接に動かそうとするのでなく、「そうあるなら」という自分の内側を動かす、というもの。

外側にあるものを認識して”それ”をどうこうしようとする習慣を、意識を内側に持ち直し、自分の思いは抱えたままで、外の環境も取りあえず深く触ろうともせず。とにかく自分に起きてくるモノコトを行っていくという”集中”状態をつくる。


そんな事をしても何かがすぐに変わるわけじゃないし、何をやってるか外からはよく分からないし、あやしい感じだし…。なんだけど、”こんな事”をやり続けることで、自分がやる事はやり続け、他者のジャマ(対立など)をするわけでもなく。外の難しい成り立ちである「関係性」に少しずつ変化を起こす事ができるのだと思っている。

自分の元にあった「思い」は変わっていないはず。元は外のそれを何らかの理由で”変えたかった”はずで、それを直接に触らずに、関係性の変化によって自然と変わっていくことを目指した状態。反対側に立っているわけでもないため、分かりやすい”対立”も少なくなる。

見えない部分の動きが多いため、あやしさは否めないものの、他者を否定するでもない(敵を作ることが少ない)、寧ろ肯定の入り方を保てる状態にする事が可能―――、普段の次元に自分の意識がある状態では、外側の”肯定”はなかなかできない。


具体的に見えてこない部分が多い話だけど、実際の言葉にできないカタマリは内側に多々あって、頭に瞬時に捉える映像(画)はあり、掴んでもそれを現わす言葉は、なかなか見つける事ができなかった。

頭の中では「あっ(それ!)」と何某かが出てくるけども、すぐに消えて言葉を見つけながら書く間に、文章はけっこうバラバラになった(笑)

見えない所、裏側、陰…

それらが全て怪しいのではなくて、私たち人の脳が何かひとつの面を勝手に「表」という表現をしているから「裏」というものが発生する。

表と裏は一体で、いつもヒラヒラと入れ替わっているだけ。主流がそうでなくなるという事と何ら変わらないと感じている。

・・・

分かりやすい”言葉”がコトを起こし、何かを変えているのではなく、人の内側にある”その状態”が、必ずカギを握っている。いつもの頭の場所から違う場所を使うことに替わらなければ、大きな変化にならない。脳内の「自分の居場所」によって、私達の手にする結果はまったく違ってくる。

具体的な物事のそれらを”肯定”しているのでなくて(現にイヤなことは多くある)、そうなる状態があることは認めるという”肯定”。この表現は以前にも書いたと思うのだけど、結局はそこと繋がる。

外側は”結果”。結果を変える事はできないのだから、それ以前の部分に着手するという所で、「内側」という自分の中の状態を切り替える。

「この大きな外の世界と個人の小さな内側?何を言っちゃってるんだ…」

外でそう思われたとしても、まったく何の影響も出ないのが、この内側の次元にあること。外はまだ何も変わっていなくても、内側の切替えがあるだけで十分。

何も放棄していない、諦め(一般的意味で)てもいない。自分の中に持ち続ける思いが私自身を導いている。


「それを超えると思いの持ち方がパワーそのものーー」

たったこの一行が、こんな内容になるとは思わなんだ…。その時予定していたシンプルなものからどんどん離れ、本当に”別で展開”になってしまった。全然サクッとしなかった( ;∀;)

えらい時間がかかってしまい、なのに私的に、はっきりと言葉にできなかったモヤ感が残るという状態で終わった(笑)

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☆うみのみか☆
応援チップありがとうございます。自然と学べる記事の提供で倍返しいたします!コメント頂ければ内容を盛り込んで記事として出力いたします。 共に学んで参りましょ~(*^^*)