蜘蛛女のキス
"『確かに、あんたは黒豹女じゃない』『黒豹女だったらすごく哀れね、誰にもキスしてもらえないんだもの。全然』『あんたは蜘蛛女さ、男を糸で絡め取る』『まあ、素敵!それ、気に入ったわ』"1976年発刊の本書は、映像的、巧みなストーリーテリングのアルゼンチン人の著者による【ほぼ二人の登場人物の会話のみで成立した】対話体小説の名作にして、映画やミュージカル化でも知られる一冊。
個人的にはタイトルだけは知っていたものの、勝手な妄想で【妖艶な女性が出てくる本】と思って(笑)何となく敬遠していたのですが。ガルシア=マルケスの『100年の孤独』の読書会を主宰するのを機に、ラテンアメリカ文学に広く触れたいと思って、あらためて手にとりました。
さて、そんな本書はマジックリアリズムと評される【不可思議で幻想的な事象が土着化している】他のラテンアメリカ文学のイメージとは違って(また私の勝手なイメージでもなくて)どこか【乾いた都会的に洗練された印象で】舞台を刑務所監房、登場人物は政治犯のバレンティンとトランスジェンダーの性犯罪者モリーナの二人に限定し【様々な映画6作のストーリーをモリーナがバレンティンに語り聞かせる】といった対話形式で終始進んでいくのですが。
特筆すべきは、やはりモリーナによる生き生きとした決して名作とは言えない【映画についての魅力的な語りか】一緒にスクリーンを眺めている様な気持ちで作品にグイグイと引き込まれてしまいます。(この辺り、著者の映画監督、脚本家を目指した経歴が活かされている気がしました)
また"『ストーブの作る影を見てごらん』『ええ、あたしはいつも見てるわ、あなたは見たことなかったの?』搾取を否定しながら、モリーナから(主に差し入れの食べ物を)搾取し続けるも、どこか憎めないバレンティンとモリーナの関係が【次第に変化し、互いに理解し合うまでの展開】は、性別や年齢を超えて胸を打つ部分があり、あえて物語全体としては最後まで語りきっておらず、読者の想像に委ねている事で、かえって効果的に作用しているように思いました。
映像的なコミュニケーションを描いた作品を探す誰か、ラテンアメリカ文学の多様な魅力に触れたい誰かにもオススメ。