昔話に学ぶ《y》
むかしむかしあるところに、
子どものいない夫婦がいました。
なかなか子どもを授かることができないので、
夫婦は魔法使いのところへ行きました。
魔法使いは、
ここにある大麦を植えると
何かが起こるからやってみなさい、
と言いました。
夫婦は急いで帰り大麦を植えると、
土の中から何かが動き出し、
あっという間に
芽が出て大きな赤いつぼみをつけ、
チューリップを咲かせました。
よく見てみると
花の真ん中に
小さな女の子が座っていることに
気がつきました。
女の子は
おやゆび半分の大きさしか
ありませんでしたので、
「おやゆび姫」と名付けました。
おやゆび姫は歌が得意で、
甘くやさしい歌声には
誰もがうっとりしていました。
ある夜、
おやゆび姫が
クルミのからのベッドで眠っていると
大きな醜いヒキガエルが
部屋の中に入ってきました。
ヒキガエルは
おやゆび姫を
自分の息子の嫁にしようと思い、
眠ったままのおやゆび姫を
クルミごと持ち上げ連れ去りました。
沼に住んでいる息子のもとへ
おやゆび姫を連れて行きました。
眠ったままのおやゆび姫は
蓮の葉の上に乗せられ、
翌朝目覚めると
いつもと違う場所にいることに驚き、
自分はヒキガエルの嫁になることを聞かされ
悲しくて泣いていました。
ヒキガエルの嫁になることを
不憫に思ったメダカたちが
蓮の茎を噛み切り、
おやゆび姫を乗せた葉っぱは
川を流れていきました。
お腹が減ったおやゆび姫は
野ネズミの家を見つけ、
麦をひとつぶくれるように頼みました。
おやゆび姫の
かわいそうな話を聞いた野ネズミは、
おやゆび姫を自宅に上げ、
楽しい毎日を過ごすようになりました。
野ネズミの近所には
お金持ちのモグラが住んでおり、
モグラは
おやゆび姫に一目ぼれして
嫁にしようと考えていました。
そんなある日、
おやゆび姫は
ケガをして道に倒れている
ツバメを助けてあげました。
おやゆび姫の献身的な世話のおかげで
ツバメは元気を取り戻し、
やがて旅立つ時がきました。
ツバメはおやゆび姫に感謝し、
一緒に緑の森へ行こうと誘いました。
ツバメのことが好きだったおやゆび姫は
喜びましたが、
野ネズミを残していけないと
誘いを断りました。
ツバメが旅立ってすぐに
モグラに結婚を申し込まれ、
おやゆび姫は結婚することになりました。
モグラと結婚したら
大好きなお日様にも
二度と当たることができず、
ツバメにも会うことができないので
おやゆび姫は悲しくて泣きました。
とうとうもぐらとの婚礼の日がやって来て、
親指姫は、
最後に外に出てお日様にさよならを言い、
泣きながら、花を抱きしめました。
するとそこへツバメがやってきて、
一緒にあたたかい場所へ行こう
と言いました。
おやゆび姫は決心して
ツバメの背中に乗り、
大空へと舞い上がりました。
森や川や雪の残る山を越えて、
南の国も超えていきました。
そして、おやゆび姫は、
つばめに連れて行ってもらった
美しい森のお花畑で、
大きな花の上に乗せられました。
よく見ると、
花の真ん中に
おやゆび姫と同じ大きさの人がいました。
おやゆび姫はとても驚きましたが、
実はその人は花の妖精の王子様で、
王子様はおやゆび姫を見てとても喜びました。
それから2人は結婚し、幸せに暮らしました。
おやゆび姫は
お祝いに
『大きな白いハエの美しいはね』を贈られ、
それを背中につけると
他の精たちと同じように
飛べるようになりました。
それから王子さまは
おやゆび姫のことを
<マイア>と呼ぶことにしました。
〈マイア〉という名前は、
神話に出てくる
春の季節の、穀物の実りを司る
女神の名前です。
そして
おやゆび姫と王子さまは
周りの花の精に祝福され、
幸せになりました。
めでたし、めでたし。
アンデルセンのお話「おやゆび姫」
1835年に発表された
『アンデルセンの童話集 第2集』
に収録されているお話。
たくさんのキャラクターが出てくる
緩急もあり冒険もあり涙あり笑いあり
最後はハッピーエンドな物語
とても人気の物語です。
おやゆび姫モテモテだね
皆から可愛い可愛いと嬉しいだろうな
アンデルセンは
貧しい家庭に生まれ、
父親が早くに亡くなり
若い時は大変苦労したようです。
女性にも縁がなく
フラれるばかり
生涯独身だったよう
自分への自信のなさから
引っ込み思案だったようです。
そのやるせなさや憧れが
童話として表現されたのかな。
それぞれ現れるキャラクター
にはきっと意味がある
子宝や親子の絆を象徴する
→「カエル」
見てくれ外見の良さや
(七色)他人の意見に流されやすい象徴
→「コガネムシ」
貧しさや侘しさはあるものの
生命力の強さの象徴
→「野ネズミ」
闇の王様。
頭脳明晰、裕福に対し、
視野がせまく、力で支配したがる
→「モグラ」
普通では行き来できない世界へ、
人や物を運ぶことが出来る。
俯瞰や自由を意味する→「ツバメ」
それぞれピッタリなキャラクターですね。
おやゆび姫は
・世間的な常識や固定観念
・他人の意見に左右されること
・自分がどう見られるかを気にすること
・権力やお金による支配に影響されること
からの自由
そもそも自由とは何なのか
自由は何を意味するものかを
表したお話なんだと思います。
自由って解放みたいなイメージが強い
区別や制約されていることから
解き放されるみたいな
でも
何かから逃げて体や時間が自由になることが
本当の意味の自由ではない
常識や、固定観念、他人の意見、
権力では揺るがない、
自分を思いや考えを信じる
自分に自信を持つことが
本当の自由なんじゃないかな。
自分探し
最後に親指姫は
どうしてお祝いにハエの羽をもらったのか
美しいチョウの羽や漆黒のツバメの翼など
美しいカッコいいものでなかったのか…
もうそんなもの関係ないんだ
見てくれなんて気にしない
飛べればいい
飛ぶが逃げるためではなく
自分の会いたい人に会うために
変わったんだ
他人が自分をどう見るかではなくて
どこかに逃げ出すもなくなった
というのが
「ハエの羽」の意味するものかな
「しあわせ」や「ゆたかさ」を探求し、
最低限の幸福と社会的援助を提供する
それぞれの自己肯定感を満たし、
存在や居場所を与え
目的に向かって助け合う。それが福祉。
ヒトの人生や生活を扱う仕事
今見えているもの
ただそれだけを解決しても意味ない
ヒトが生きている
時間も日にちも経っている
それだけ経験し、思いもあり
感情も動いている
流れがある。歴史がある。
そのヒトそのヒトで感性や思いは違う
自由という判断も違ってくると思う
今回は
自由を
区別や制約されていることから
解き放されるみたいな意味ではない
とは言ってない。
そんな一面ももちろんある。
区別や制約されている方からすれば
きっとそこから抜け出すことが自由
だと感じるのは当たり前
でも、問題は
抜け出した後
その後、何を頼りに生活するか
どういう基準でどういう思いで
どのような生活を
どのように送っていくのか
最終的に大切なのは
自信の判断や感性、考え方
信念、こだわり、確固たる思い
になってくるのかなと思う。
それは0から出てくるものではない
色んな意見を聞いて
色んな情報を得て
見て聞いて考えて
で築き上げていくもの
判断するもの
「しあわせ」「ゆたかさ」も
そこから導き出されるもの
なんだと思う。
この判断のサポート
僕らはどこまで出来るのかな
終わりはないと思う
正解もないと思う
果てしない
はてぇーしなぁーいー
やみのむこぉーにぃー
オッ オー
てをのばそーぉー
だれぇーかのぉーたぁーめにいきてみてもぉー
オッ オー
Tomorrow never knows
(明日のことは未だ分からない)
こころのままぼくはゆくのさぁー
だれもしることのないあしたへぇー
オッオゥ オーオーオーオーオーゥ
(伴奏 笛ラムネ♪)
久々の昔話に学ぶ。
ちょっと熱が入ってしまった。
楽しかった
勝ち負けのない戦いもある
正解不正解のないこともある
成長していくためには、
ただただ挑戦しかない
行動あるのみ
自分/己との戦い
他責にしない
そうやって皆成長していく
さ。頑張ろう。