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昔話に学ぶ《p》

たぬきの糸車って知ってる?

たぬきの糸車

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本屋さんで見つけて

タヌキのホワホワ感に

惹かれて買ってしまった

こんなにタヌキがふっくらホワホワなのは

しっかり食べてる証拠だね

しっかり栄養が足りてるんだね

野生のタヌキのガリガリ感

実際見た時はショックだったな

あ。違うんだ。

現実を突きつけられた気がした。

自然の過酷さや脅威を感じた。

たぬきの糸車

光村図書の1年生国語教科書(下)にも

載ってるんだと。

小学1年生で取り扱う題材

さ。皆も小学1年生の気持ちで考えてみて。

気持ちは小学1年生。

あの頃は鼻水垂らして

休み時間何しようしか考えてなかったな…

あらすじは以下…


むかし、

ある山おくに、

きこりのふうふがすんでいました。

山おくの一けんやなので、

まいばんのようにたぬきがやってきて、

いたずらをしました。

そこで、きこりはわなをしかけました。

ある月のきれいなばんのこと、

おかみさんは、

糸車をまわして、糸をつむいでいました。

キーカラカラ キーカラカラ

キークルクル キークルクル

ふと気がつくと、

やぶれしょうじのあなから、

二つのくりくりした目玉が、

こちらをのぞいていました。

糸車がキークルクルと回るにつれて、

二つの目玉も、くるりくるりと回りました。

そして、月の明るいしょうじに、

糸車を回すまねをする

たぬきのかげがうつりました。

おかみさんは思わず

ふき出しそうになりましたが、

だまって糸車を回していました。

それからというもの、

たぬきは、まいばんまいばんやってきて、

糸車を回すまねをくりかえしました。

「いたずらもんだが、かわいいな。」

あるばん、

こやのうらで、

キャーッというさけびごえがしました。

おかみさんがこわごわいってみると、

いつものたぬきがわなにかかっていました。

「かわいそうに。

わなになんかかかるんじゃないよ。

たぬきじるにされてしまうで。」

おかみさんは、そういって、

たぬきをにがしてやりました。

やがて、

山の木のはがおちて、ふゆがやってきました。

ゆきがふりはじめると、

きこりのふうふは、村へ下りていきました。

春になって、

また、きこりのふうふは、

山おくのこやにもどってきました。

とをあけたとき、

おかみさんはあっとおどろきました。

いたのまに、白い糸のたばが、

山のようにつんであったのです。

その上、ほこりだらけのはずの糸車には、

まきかけた糸までかかっています。

「はあて、ふしぎな。どうした こっちゃ。」

おかみさんは、そう思いながら、

土までごはんをたきはじめました。すると、

キーカラカラ キーカラカラ

キークルクル キークルクル

と、糸車の回る音が、聞こえてきました。

びっくりしてふりむくと、

いたどのかげから

ちゃいろのしっぽがちらりと見えました。

そっとのぞくと、

いつかのたぬきが、

じょうずな手つきで、

糸をつむいでいるのでした。

たぬきはつむぎおわると、

こんどは、

いつもおかみさんがしていたとおりに、

たばねてわきにつみかさねました。

たぬきは、ふいに、

おかみさんがのぞいているのに

気がつきました。

たぬきはぴょこんと外にとび下りました。

そしてうれしくてたまらないというように、

ぴょんぴょこおどりながら

帰っていきましたとさ。

おしまい…


どう?小学1年生の気持ちで考えた?

たぬき可愛い。

ぴょこぴょこ踊るってどんなだろう。

擬音可愛い。

説明する文章が入ることで

そのシーンを思い描きやすくなる

想像力をかきたてる

「いつもおかみさんがしていたとおり」

→ 毎日見てたんだな。

「いつかのたぬきが、

じょうずな手つきで、」

→ もしや冬の間毎日していたのかな

話の展開は

恩返しというベタな設定だけど

どこか温かみがある

いいことをするといいことが返ってくるよ

そんな簡単な話ではない気がする。

この話すごくいい。

何がいいって

いたずらたぬきの更生記録、支援報告

なのではないだろうか。

この物語でいう「いたずら」

人里に下りてきたたぬき達が

自分達が生きていくために

人様の田畑から食べ物を採ったり

ヒトの家から食料を盗ったり

していたんだろう

それって生きるため

明日へ暮らすために仕方なしに

たぬきなりに生きていたことが

他の生物からすれば迷惑だったんだ。

それが今まで知りえなかった

糸車の存在に興味を持ち

糸車の方法を伝え

見て学び

糸を製作する喜びを知り

ヒトの役に立つまでに

そのものの価値をグンと上げて

提供できた。

云わば

おばあさんはたぬき支援の

代々伝わる糸車伝承の

スペシャリストなのかもしれない。

「しあわせ」や「ゆたかさ」を探求し、

最低限の幸福と社会的援助を提供する

それぞれの自己肯定感を満たし、

存在や居場所を与え

目的に向かって助け合う。

それが福祉。

「しあわせ」や「ゆたかさ」の基準って

人それぞれ違う

これがきっとそうだから

社会一般で考えて

普通はそうだから

そんな基準で決まっていいはずがない

その人がどうあるべきかは

他人じゃ決めれない

法律、条例、規則、規程、規定

色々あるけれど

個人がどうあるべきかは

自分で答えを出さないと

他人が決めることじゃない

勝手な決め付け

自分にとって

都合のいいものにすりかえる

そんなことあってはならない。

ヒトが何に興味を持つのか

そんなのやってみないと分からない

知ってみたところで興味を持つのかも

分からない。

その人によって違う。

知らなきゃ

やってみなけりゃ

何にも始まらない。

「いたずら」する迷惑な存在を

冬の間、糸車で糸を作り

役に立つ存在に価値創造する

早々簡単に出来ることではない

迷惑ってヒトの感情

捉え方次第で変わってくる

問題!課題!とされる物事たち

ホントに問題や課題なんだろうか

そこには本当に困っている人たちが

そのままにされてない?

どこかに追放したり、更送したり飛ばしたり

見えないことにしてしまって

問題解決したことにされていない?

根本解決は出来ていないんだと思う。

そうなったのには理由がある

もしかしたらそういう手段しか

知りえていなかったのかもしれない

共存する形に出来てこそ

お互いが納得の形で完結する

これが解決の形なんじゃないかな?

助け合いが平和の形

社会の基盤を作るのは助け合い

さ。助けよう。

手を差し伸べよう。

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だいすけ
サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!