お招きいただきサンクチュアリ
この前の週末、三年ぶりに京都まで出かけた。
夫は京都は初めてで、着いてからずっと楽しそうで可愛かった。
あれは何?ここはどの辺り?と何にでも興味津々で、途中用水路を指して「これがかの有名な鴨川ですよ」と雑なギャグをかましても信じるほど一生懸命私の話を聞いていた。
すぐに嘘だと言ったが「もう騙さないでよっ」と憤慨していた。
京都まで出かけておいて、神社やお城などの観光はほとんどしなかった。
清水寺へ行く予定を入れていたけれど、それは近くに出来たてのわらび餅がえらい美味しい店があるからだった。しかもそれすら向かう途中の祇園でビール飲んだら「あんな人多いところ行くのめんどうくさい」とやる気が失せて結局行かなかった。
丸一日京都競馬場で遊んだり(大負けして大爆笑だった)関西に住んでいる夫の友人たちも交えて飲みに行って、あとはパン屋をはしごして、散歩しながら犬の数を数えて、どら焼きの試食を食べたり、冬ごもりのためのキッチン用品やぬくいセーターなどを選んでいたらいつの間にか帰る時間になっていた。
とはいえ興味や信仰心がないわけではない。
八百万の神や付喪神は寓話ではなく本当にいるものだと思ういるし、建造物を生で目にしてその場で得られる学びというものは記憶が薄れても己の血肉となってくれる。
京都は都内とはまた別のとてもエネルギッシュさに満ちている街なので、お参りやお願い事をしにいく方々の気持ちもよくわかる。
京都はやりたいことがあまりにも多すぎる。
美味しすぎるパン屋がたくさんがあるし、ビールを飲みながら鴨川に沿って歩くのも最高だし、食器屋も古着屋もたくさんあるから買い物したいし、裏路地しか通らない縛り散歩も楽しい。トイレのあるコンビニを見つけたらマップでピンをさす遊びもなかなかいい。(京都のコンビニはほとんどトイレがないもしくは使えない)
そんな風に過ごしていると何泊しても何度来ていても「時間が足りな〜い!」となってしまう。
なのでいっそのこと「京都にきたら絶対コレ!」などととらわれずに何をやってもやらなくてもいいとしている。
一応夫に観光どこか行きたい?と聞いたら「君のおすすめに行きたいな。どこかある?」と言われたので外から見る二条城と清水寺の近くの茶碗坂にあるわらび餅かな、と答えたら二条城の近くに宿をとり清水寺に行くことになった。(前述の通り清水寺は行かなかったけれど)
なので朝は、徳川家康の話をしつつ二条城を眺めながら歩いた。それだけでも十分楽しいが夫は初めてだし中に入ってもいいかなと思ったけど、とても人が多かったので入るのはやめた。
たまたま夫の休みが取りやすい時期が京都の紅葉の時期とかぶってしまったので今回はどこも人が多かった。
今度はオフシーズンにきて中をしっかり見るのもいいなと思った。
夜はライトアップされた二条城を、朝とは別の角度から眺めて歩いた。
朝と別の角度だった理由は道を間違えたから。同じ二条城といえどでっかい建物なので別の方角からくると宿まではずいぶん遠回りになった。
ちょっと良い和牛の焼肉屋で夜ごはんを食べてお酒を飲んで、とてもいい気分だった。
歩きすぎて足は痛かったけれど手まで温かくなるほど酒が気持ちよく回っていて、時間もまだ早いしこのまま頑張って歩いて宿の近くで飲み直そうか〜などと言っていた。
店を出てからかなり歩いていたので腹がこなれて酒のほかに何かあたたかいものが欲しかった。
ライトアップされた二条城を見上げながら歩いていると、10年以上前に私が初めて京都にきたときのことが頭に浮かんだ。
その時は母と二人できていて、ホテルから二条城が見えていたのでたしかこの辺りだったかもなあなどと思った。
あの時、初めての京都旅行でいろんなものを食べたけれど、一等美味かった店がこの二条にある餃子の王将だった。
前日の夜に食べたおしゃれなお店のおばんざいが物足りなくて、二人で「今夜は何かがっつりしたもの食べたいねえ」と言いながら歩いていた。
たくさん歩いてへとへとだったし、街中は人が多くて疲れていたのでホテルの近くまで戻ってきて店を探していた。
カレー屋さん、うどん屋さん、焼き鳥屋さん、とどれもピンとこないなか人通りの多くない路地で餃子の王将の灯りがとても頼もしかったのをよく覚えている。
餃子食べたい、ここに入ろう、と私が言ったら母が「どうして京都にきてまで王将なのよ!もっと頑張って探そう!?」と言われたけれど無視して半ば強引に店に入った。
餃子の王将というものは最高のチェーン店なのでどこの店ももちろん美味しいのだけど、その店はなんだか特別に美味しかった。
前日が物足りない食事だったせいか、歩すぎて疲れていたせいか、はたまたそのどちらもか。
何がスパイスになったのかはわからなかったけれど、二人で何度も「おいしい、おいしいねえ」「なんだか特別にこの餃子おいしい」と言い合って食べた。
その後旅行から帰った後も何度も餃子の王将には行ったけれど、あの日の感激をこえることはなかった。
私は旅先でのバフみたいなものだろうとさして気にしていなかったが、母はこの話になるたびに「あの店はきっとおいしいものの神様がいて、はらぺこの私たちを助けてくだすったのよ」と西の方角に向かって手を合わせ感謝していた。う〜ん可愛くて変な女。
そこから数年後、再び母と京都へ出かけた際に確かめるべく同じ王将へ行った。
極力旅行のバフを感じないように初日の夜に行った。
結果めちゃくちゃうまかった。母は普段少食なのに「ぜったいおかしい、何がちがうの…!?」と餃子をもりもり食べていた。
私も笑いながら本当に変だよね、と思った。
この話はもちろん夫にもしたことがあって、でも今回一緒に京都へ行くとなってそこに行こうという話にはならなかった。
歩いているうちに、ちょっとお腹空いたからごはんも食べられるところがいいねえと言いながら交差点を曲がった。
突然だが私は道を全然覚えない。原チャや車を運転すればある程度は覚えるが基本的に全く覚えない。
だから今回も、そこが王将へ続く道だとすぐに気が付かなかった。
なんかここ通ったことあるかも、と言ったら夫が「ねえ王将あるけど」と言い、顔を上げるとあの日の餃子の王将があった。
ぎっしり建物が詰まってる間に、キュッとある餃子の王将。間違いようがなかった。
私は興奮して「ねえアレだよ!!アレ!!前話してた!!うちらの王将だよ!!!!!!ウソ〜!!!!!!」と隣の夫の肩をバシバシ叩いた。
夫は「せっかくだしとりあえず覗いてみようよ」と店のドアの前まで行き、覗くどころかノータイムで入店して「二名です」と店員さんに申告していた。
席についてメニューを広げた途端「ごめんなんかわかんないけど流れるように入っちゃった」と真顔で言われて笑った。全然いいよ。
瓶ビールと、餃子と、ジャストサイズのニラレバを頼んだ。
店は当たり前だけど何にも変わっていなくて、4人組の婆さんがテーブルギチギチの中華を囲みながらビールを飲んで若い人の悪口を言っているのも、銭湯帰りなのか頭にタオルキャップを巻いた小さな姉妹と母親がラーメンを分けているのも、元気いっぱいのアルバイトが何かつまみ食いして「あっちぃっ、うまっ」と言っているもすべて、飯屋としての佇まいが完璧で最高だった。
二人で瓶ビールを飲みながら料理を待つ間、なぜか私は「でもほら王将って基本どこも美味しいじゃん」「旅行中ってちょっと不慣れなもの食べること多いから特別美味しく感じたのかも」と小声で言い訳をしていた。
夫は「そうだね」「わかるよ」「でも雰囲気もいいし俺もうこのお店好きだな」などと相槌を打ってくれていた。
焼き立ての餃子とニラレバが運ばれてきて、二人で「いただきます」と手を合わせて食べた。
パリパリなのにもっちりしている餃子、この焼き加減といい香ばしい香りといい、本当に不思議なほど何よりも美味しい。ビールで流し込むとあまりの心地よさに心の中で「京都‼️最高‼️」と叫んでいた。
夫はニラレバを食べて、餃子の二個目を食べたあたりで「困ったことに、京都で食べたもののなかで一番おいしいよ」と言っていた。だよね!?!?
マジでなんなんだろうな。
ここに来る前に和牛のランプとか食ってきたんだけどな。
二本目の瓶ビールと、ジャストサイズのラーメンを追加した。
「チェーンだけどやっぱり東北とはちょっと違うんだねえ」とメニューを眺める夫をみて、京都に一緒に来ることができてよかったなあと初めてしっかり思った。
京都にきてからいろんなところ行ったり食べたりしてたのにね。ここにきてそう思っちゃうんだから母の言うとおり本当に神さまがいるところなのかも、なんて考えた。
餃子みたいにふくふくな福耳の神さまがきっといる。