ごちそうするからまっていて
シュウマイが食べたい。
溺れてしまいそうなほどの肉汁と薄くて伸びる皮のシュウマイがいい。
絵本、ぐりとぐらをご存じであろうか。
腹ペコこねずみコンビがクソデカ卵を拾ったことをきっかけに、己の心と胃袋を満たすために果敢に調理しさらには気前よく仲間に振る舞うという、よく食べてよく生きるという姿が描かれた一冊である。
この絵本はいくつかシリーズがあるけれど、私にとってぐりとぐらといえばこの巨大カステラの話だ。
最後に読んだのはいつだったか、おそらく20年以上前であるにも関わらずこの絵本のマインドがどうも私の中に根強く根深く突き刺さっている。
そのせいか私は「これが食べたい」という食欲に妥協ができない。
ミスタードーナツを食べたいときに目の前にお豆腐ドーナツが売っていても買わない。少し遠くてもミスタードーナツ屋さんに行く。
とんかつが食べたくなったらお惣菜ではなく揚げ物がうまいとんかつ屋に行かないと、アイスクリームが食べたくなったらラクトアイスではなく乳脂肪が3.0以上のものでないと、餡子が食べたくなったら缶詰めではなく小豆から炊かないと満足できない。そう、とてつもなく面倒な人間。
しかし上記のように、食べたいものが決まった店のものや買えるものであればまだいい。
わたしの厄介なところは、食べたいものが売られているものではない場合「じゃあ作るか」という思考になってしまうところだ。
材料集めから調理時間、一切の妥協を許さず納得するまで突き詰める性分なので我ながら本当に手間がかかる。しかしながらやらないと四六時中そのことが私の頭を占めて出ていかない。よってさっさと気の済むように行動する方が健全である。
今まで夢中になって作ってしまったものといえば、スコーン、シナモンロール、クリームパイ、タルト、キッシュ、ベーグル、バターチキンカレー、から揚げ、お赤飯など。
「食べたい」と思ったものだけではなく、「試しに作ってみたら納得できなくて何度も作ってみた」ものも多い。
「もうこれでいいじゃん」という考えが過ることもある。しかしこのひと手間を、この一つを妥協してしまおうとしても、どうしても私の中のぐりとぐらが許さない。
クソデカ卵を運ぼうとする努力、大きなフライパンを用意する労力、危険を冒しながら焚火の準備をする覚悟、彼らはそれらを乗り越えてあの大きなベッドのようなふわふわカな巨大ステラを作り上げたのだ。
もしもその工程の一つでも欠けていたら、あのカステラはそこまで膨らまなかったかもしれないのだ。
そう思うと私はその感動のために妥協が出来なくなってしまう。
そして先週から私はでっけえシュウマイが食べたくなっている。
チルドでもおいし〜ものが溢れていることは重々承知だけれど、今の私は肉だねから作り、レタスで包んで蒸したじゅわじゅわほろりのシュウマイが食べたい。
今週はやらなくてはならないことが地味に多いけれど、ど〜しても作りたい。作って食べたい。シュウマイ。
というかそもそも、こういった食欲というか調理欲が出てくる時の私は大抵何かにモヤモヤしていたり行き詰まっていることが多いので、いつも時間に余裕がないときにやってしまう。その癖妥協はしない。
学生時代のテスト前にやたら部屋掃除したくなる現象と同じだ。
私は私の中のぐりとぐらに逆らわない。
逆らわず、今週末大きなシュウマイを作ろうと思います。