祈りをひらく
絵本の読み聞かせをしてもらうことが好きな子どもだった。
お気に入りの本は持ち歩き、いつだって読んでもらえる機会を逃さなかった。
母の、兄の、先生の膝に座って耳を傾けると、頭から注ぐ声は私のためだけのもので、特別になった気分でいつも心地よかった。
きれいな色使いの絵や、絵とともに進む物語ももちろん魅力的だったけれど、今にして思うと自分に語りかけている人の声や膝の温度が何より好きだったのだと思う。
褒めてもらえることも抱きしめられることも間違いなく愛を感じていたけれど、私にとっては「絵本読んで」を受け入れられることが一等幸福だった。
いつか自分が母になったら、子どもに好きなだけ絵本を読み聞かせてあげたいと思っていた。
結婚して七年が経ったが、どうやら私たち夫婦に子供はむつかしいらしい。もしかしたら叶わないかもしれない。
自分の子どもは居ないけれど絶望はしていない。
幸いなことに私には姪と甥たちが居て、懐いてくれる友人の子ども達もいる。
私はその誰にも、頼まれたら喜んで絵本を読み聞かせる。なんなら頼まれなくとも読んでしまう。
祈るように、愛を込めて、たくさんのおまじないを含ませながら、膝に乗せた小さき人に読み聞かせを捧げる。
不思議なことに、大騒ぎする子も引っ込み思案の子も絵本を読み始めると自然とからだをくっつけて、ひらいた世界に顔を寄せる。
絵本の読み方は子どもそれぞれだ。
飽きっぽい子には早口で読んでしまえばいいし、じっくり絵を眺めたい子には飽きるまでそのページに留まる。
同じ絵本を何度も読みたがるのは素敵なことだ。お気に入りの絵本というものはそういくつも出会えるものではないし、いつか自分に寄り添ってくれるお守りとなる瞬間が絶対にある。
都度読み方を変えてみたりして、本人の解釈を楽しんでもらえたらいい。
しかけ絵本はやさしく、大事にするものだと手のひらをもって伝える。
別に絵本の内容など憶えていなくてもいい。
私の身勝手な祈りで、かわいい君たちとの交流の時間なのだ。君を大事に、憎からず想う人間が居るということを読み聞かせを通して伝えたいだけである。
私が未来のためにできることは、未来をつくる彼らが望めばいつだって絵本をひらき、祈るようにページをめくることだ。
いつか懐かしさとともに自分や誰かの心に寄り添えるようにと祈りながら、私は彼女のつむじを盗み見る。