中川多理 Favorite Journalポール・エリュアール広場 2番地/梯久美子『サガレン』其の壱
寒さがだいぶ体に滲みるようになった10月の或る日、東京神田・すずらん通りに[Passage]パッサージュという、書棚の一棚オーナー書店をみつけた。ベンヤミンの『パッサージュ』に倣っているだろう、鹿島茂の『PASSAGE by ALL REVIEWS』には、それぞれ実在の名前がついていて、まずはプルースト通りに行ってみた。まぁもともとベンヤミンも鹿島茂も一冊も読んでいない身なので、ちょっとこのスノッブな感じがしっくりはこないけれど、ポール・エリュアール通りに中川多理をみつけた。https://passage.allreviews.jp/store/CX7JTYBNZAS6H5YUEW65NVB2
ポール・エリュアールと言えば、ペヨトル工房時代に…というか二冊目の単行本として『神々の不幸』エリュアールを出版した思い出が、ふっと甦る。『ユリイカ 詩と批評 1972年9月号 特集=総展望フランス現代詩』に載った高村智訳の『貧者たちの城』を読んでエリュアールの出版を思い立った。ちなみに一冊目はアントナン・アルトーの『タラユマラ』。学生の頃にシュルレアリスムに被れていて…ブルトンに除名されたアルトーからしかシュルレアリスムを見ていなかった。ちなみに今もそうかもしれない。そしてブルトンとまた違う道を歩んだ、エリュアール。ナチ侵攻に、多くの芸術家、理論家がニューヨークに退去したあと、巴里に残りレジスタンスの詩を書き続けるのである。1942年には空軍機から「自由」という詩を巴里に撒いて人々を勇気づける。高村智の訳した「貧者たちの城」は、そのことを当時のボクに教えてくれた。今、ふと思うのは、アルトーのシュルレアリスムがあるのだとしたら、エリュアールのシュルレアリスムもまた見直されなければならない。日本のシュルレアリスム紹介は、生田耕作にしろ澁澤龍彦にしろ美術評論家たちにしろ、ブルトン主義である。ブルトン→ナジャという流れから運動を見る。女性たちのシュルレアリスムがある。男たちの影になって、見えなくなっているパートナー。そして芸術の源泉はむしろそこから来ていることも多い。夜想13号『シュルレアリスム』は、男性に隠されたしまったシュルレアリストたちをとりあげている。(いまはちゃんと光が当たっている…といいな…)だから創刊号も『マンディアルグ』とボナの特集にしている。
ペヨトルっ子の中川多理は、エリュアール『神々の不幸』を所有していて、(今、ペヨトル工房には資料としても残っていない)棚の中に置かれていた。中川多理の棚を眺めるにつれて、今、彼女が興味をもっているものが、分かるのが面白い。東京新聞の「鉄道の魅力を味わえる本」のページで梯久美子さんが紹介していた『下駄で歩いた巴里』林芙美子と他二冊を紹介していた。『下駄で歩いた巴里』は、中川さんの棚にも入荷予定のようだが…サハリン/樺太を単独旅行した手記…(とても読みごたえがある…)その紹介の中で梯久美子さん、「樺太には私も行ったことがある」とさりげなく書いているが、鉄道旅行の本としてご自分の『サガレン』(梯久美子)を取り上げたら良いのに…思う。ボクは、ちょうどこの本を手にする前に、チェーホフ『ワーニャ伯父さん』を読んだあとに『サハリン島』を読書しながらサハリン/樺太を南下していたところだったので、(もちろん本の中で…)、日本の側から樺太/サハリンを鉄道で北上する梯久美子さんの『サガレン』は、僥倖の一冊だった。しかも梯さんは、林芙美子、宮沢賢治、北原白秋、村上春樹(の本)をつれて北上していて、[現場]なしで深読みする危うさを教えてくれる。
たとえば、宮沢賢治「オホーツク挽歌」のなかの「青森挽歌」。
こんなうあみよののはらのなかをゆくときは/客車のまどはみんな水族館の窓になる~(略)わたくしの汽車は北へ走ってゐるはずなのに/ここではみなみへかけてゐる/焼坑の柵はあちこち倒れ/はるかに黄色の地平線~(続く)とかのある一行は鉄道マニア、正確にいうと廃線マニアの梯久美子さんならではの見立てである。