勅使川原三郎『ワルツ』 日曜日の昼に見る夢は…四十年は一昔、夢の一瞬。
アパラタスでの公演が100回を迎えようとしている。10年で100回。その中に新作は6割ぐらいあるのではないか。99回目の公演が「ワルツ」。100回目が「素晴らしい日曜日」
明日、100回目を見に行く前日に書いている。
なぜなら、今日、今、思っていることは、たぶん「素晴らしい日曜日」を見ると、更新されて無くなってしまうかもしれないからだ。
「ワルツ」を見て、すでに、100回目の「素晴らしい日曜日」を見ている気持ちになっている。勅使川原三郎が、踊りながら舞台の上で笑っていた。演技とかではなく、なんか嬉しそうに本当に笑っていた。久しぶりだ。一時期、舞台にほぼ帯同していた。その頃に、もしかしたら一、二回、見たことがあるかもしれないが、どの舞台のどの場面かは記憶にはない。でも見たと思う。その微笑み。
だけど少しだけ違うような気もした。今日は、満足しているような微笑み。
「素晴らしい日曜日」は、少し違う試みをすると言っていたから、
楽しみだ。変化は、進化は、続く。それに[まだ]なんて言葉を使っちゃいけない。終焉はないのだ。勅使川原三郎に。
ぼくが客席で立ち会ったのは、99回目の公演「ワルツ」の最終公演、日曜の夕方だった。
いくつかの風景が浮かんできた。
それから3人そろって家を出た。もう何か月もやっていなかったことだ。電車に乗って、郊外に出かけた。車内には、この3人しか客はいなかったが、暖かい太陽の光が隅々まであふれていた。気持ちよさそうに、座席にもたれて、将来の見通しを語りあった。よく考えてみれば、けっして悪い見通しではないことがわかった。~そんな話をしているあいだに、どんどん生き生きしてきた娘を見ていて、ザムザ氏とザムザ夫人は、ほとんど同時に気がついた。最近は、ほっぺから血の気の引くような苦しみをさんざん味わってきたのに、花のようにきれいで、ふっくらした娘になっていたのだ。~。『変身』カフカ(丘沢静也訳)
これは、『変身』の最後の部分。グレゴールが妹の言葉、『出てってもらおう』と、妹が叫んだ。「それしか方法がないよ、お父さん。あれがグレゴールだって思うのを、やめるだけでいいんじゃないかな。」グレゴールは虫のようなものに化身してしまったあと、ずっとお兄ちゃんと妹に呼ばれていた。はじめて「あれ」と呼ばれる。そしてその日の深夜にグレゴールは息を引き取る。(見かけは餓死ではあるが、絶望の絶命だ)
グレゴールが死んだ翌日の朝、3人は家を出て電車に乗って郊外に行く。
このシーンが訪れると、ほわっと物語はカラーに変わるような気がする。それまでは当然、モノクロームの世界だ。カフカだし。実は、井上弘久さんの『変身』の朗読を演出したことがあって、このラストのシーンには夢 みる想い Non Ho L´Età をだチェロで弾いて合わせた。
グレゴールの妹には、カフカの妹が重ねられるが、ぼくが死んだ後には…素晴らしい日曜日が来る…というか未来そうなるといいなぁというシーンは限りなく心を暖かく、そして哀しくする。
最近、カフカのこの『coda』に近い印象のシーンを見た。それは、アンジェイ・ワイダが監督をしているカントールの『死の教室』の舞台映像。記録されているカントールの『死の教室』は、国際演劇祭(利賀村)とパルコで見た版とはかなり違っていて、驚いた。クシシュトフォリ宮の地下室で撮影されたもので、全体的に樟んだもので、紹介してくれた関口時正によれば、タイトルの『死の教室』は、『死んだ学級』という意味合で…そうなるとナチの影をそこに読むということからは、だいぶ異なることになる。因みにカフカも同じことで、社会批判とかナチのとかは描かれていない。
そのワイダの『死の教室』の中頃に、丘のようなところに俳優たちが登っていって、そこに机や人形たちを配して演技をするシーンがあるが、昏い地下室から一変して開放されるような、未来の違う可能性を一瞬見せるような…そういえばワイダにはそういう映画の流れがあることを思いだした。だけれども最後はまた昏い世界に戻る。ワイダ風にすこしの未来可能性を見せるシーンは、やはり、カフカのcodaのような、救い、ほっとした晴れた日常を描いているようにも思えた。
『ワルツ』をみながら、終末の前のこの二つのシーンがフラッシュバックしてきた。特に勅使川原三郎が微笑んだときに。
勿論、勅使川原三郎の『ワルツ』は、この二つとは違う。カフカもワイダも長いこと続けてきた昏い世界の果てに見る夢のような夢なのだ。勅使川原は果てなんかじゃなくて、これからさらに 創作をして変化をしていく。日曜日にはまた実験をしてみせるかもしれない。『ワルツ』が日曜の午后なのだ。(でも分からない明日の舞台を見ないと。何が踊られるか全く予想がつかない)
暖かいそして楽しそうな、ずっとずっと踊ってここまで来たダンサーだからこその感慨を、一瞬の、ほんのシーンの合間に、日曜日の午後の日だまりを見せたと…勝手に見た僕は思っている。多分、外れているかもしれない。
だって、その珍しく穏やかな勅使川原三郎の脇で、佐東利穂子は顔の細い痩せたライオンとなって、鬣を自らのスピンで引きちぎっていた。ふわふわと宙をまう銀色の鬣のちぎれた塊が、風逆しまに登っていき、そして舞台に墜ちた。思わず拾いに行こうとした僕は、すぐに本番中であることに気がついて、身を縮めた。閑かな獣のスピードと其の手先の変化、表現力はどこにもないものだ。懐かしいような足踏みも聞こえ、僕はこのまま眠るように最期を迎える幻想に耽っていた。40年も経ったのだろうかあの時から。10年一昔、一夢というが、四十年を一夢にしてくれる勅使川原三郎の踊りは、作品は、この時代に人として生まれてきて良かったと、つくづく思うのだ。いくつもの幻想の舞台が走馬灯のように甦った。