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○収容所のプルースト/ジョゼフ・チャプスキ


 『収容所のプルースト』は、1940年から41年にかけて、グリャーゾヴェッツのソ連収容所で、収容されていたジョゼフ・チャプスキが収容された同胞に向って語られた講義の記録である。驚くべきは、一冊の本ももたず記憶によってのみ講義が成され、なおかつ『失われた時をもとめて』の圧倒的に優れた解説となっていることだ。

 この本の解説に、訳者が「一杯の紅茶も飲めない環境で、菩提樹のハーブティーに浸したマドレーヌから少年時代の記憶が甦る話がどんな感じなのか、ちょっと想像もつかない。(175)と書いてある。『失われた時を求めて』は〈紅茶とマドレーヌの逸話〉から始めたり、まとめたりするべきではなく、それは確かにプルーストが著作をするきっかけとなったトリガーであり、なおかつそれは『失われた時を求めて』に組み込まれているので、物語の接線ではあってもテーマ的なものではないし、この長編をまとめる文学的モチベーションでもない。チャプスキの講義を訳した人間にして、この「失われた時を求めて」の解説はなさけない。

 チャプスキの講義が収容された4000人のポーランド人の心を捉えたのは、そして禁止をされてもなおかつ講義を希求したのは、知的な行為は肉体の崩壊の防波堤になるということと、『失われた時を求めて』が、プルーストが死を意識せざるを得ない感覚をもったことによって成立したことに関係がある。
 過酷な収容所では、死を予感せざるを得ない。実際、グリャーゾヴェッツのソ連収容所の大半の同胞は、「カティンの森」で大虐殺されるのである——。自らの死の意識をもって自らの過去の思い出を書き綴るというあり様が——そのことを知っていても知らなくても、収容者たちの琴線に触れるというのは、容易に想像ができる。収容されていた人たちには『失われた時を求めて』が、そしてその講義が何かの心的作用をもたらしたに違いない。
 チャプスキはどこかでそれを意識していたに違いない。講義すること自体が、チャプスキのそれまでの文学に対する研究、見識をまとめるということ、…つまり過去を振り返って口述する…が、チャプスキの『失われた時を求めて』ともなる。
 講義は、『失われた時を求めて』の解説、解釈、評論になっているだけでなく、作品がどのような文学的土壌、そして具体的な作家の影響や関係のもとに生まれたかという、文学史論、文学論にもなっていて、…詳細で含蓄深く…非常に優れたものであると同時に、文学へもう一歩踏み込ませてくれる読みのクリエイティブな示唆に富んでいる。
 自分がもし、収容所でチャプスキのプルースト講義を聞いたら——生きて戻れた暁には、講義された関連の本を全部読破して、チャプスキと自分の読書感性の差をチェックしたいと思うだろう。生き延びたいな、僕はきっとそう思うだろう。
 死を意識したところからの…プルーストであり、講義である。だからこそ収容所での共感が得られたのだと思う。
 自分も今、ちょっと大きい病を抱えていて、未来が不安定だ。
もういちど『失われた時を求めて』と講義録にあげられている作品を読んで、死ぬ術、生きる術を感じながら、文学と自分を見つめてみたいものだ。講義録には、読書をするための多様な視点が上げられている。それは自分がこれまでに読んできた文学論、読書論にはないものだ。たとえばコンラッドの読み方までが書かれている。そのアプローチは刺激的だ。
 遅ればせながら、否、今だからこそつるつると身体に入ってくる講義内容なのだと思う。死の意識が向こうから来て、かつ天窓だけを見るような時間を過ごさなければならないかもしれない身には、この本に出会えた幸せをしみじみ感じる。

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