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石垣島で一週間過ごすつもりだったのに、半月以上いてしまった

そんなつもりじゃなかった。石垣島で1週間過ごして帰る予定だったのに、結局18日間も過ごしていた。

空と海がきれいすぎたから

「帰らなきゃいけなかったのに、いつの間にか夏になった」「空がこんなに広いことを初めて知った」時をかける少女の千昭の台詞を思い出していた。
そんなつもりなんてなかったのに、帰りたくなくなってしまった。毎日空が広くて青くて、海が青くきれいで、こんなに空と海に自分が惹かれるなんて、知らなかった。

7時30分、太陽が顔を出す

ゲストハウスから徒歩3分のビーチで見た、朝焼けのこと、一生忘れないと思う。
静かに赤く染まっていく空、太陽が出てきた瞬間の強い光、海に映る黄色、雲に隠れても見える光の梯子、30分も経たないうちに、どんどん上に昇っていく。

7時40分、日が昇っていく

ヒートテックも分厚いダウンもいらなくて、お気に入りのワンピース一枚で歩いた。よく空を眺めたし、すぐ海を見に行った。
昼間の海は透明で、薄く青を反射した。晴れていたらそれだけで軽やかな気持ちになって、くもりの日は晴れ間を待った。
波と風の音だけしか聞こえない、静かな静かな海辺を歩いていると、小さなこと全部、どうでもいいような気持ちになる。ずっとこのままでいいと思った。

この日は深く青かった

毎日ゲストハウスで初対面の人たちと話した。旅をしているという共通点だけでおどろくほどためらわず話ができた。
年上の人もいれば年下の人もいたし、肩書とかよくわからないから誰も気にしていなかった、たぶん。石垣島にきて肩書が機能するわけでもない。

キッチンにいると顔見知りになる

ユヒさんは、白保のゲストハウスで、わたしがチェックアウトをした日に、チェックインしてきた。せっかくなので少しお散歩しませんかと誘って、一時間くらい、白保の村を一緒に歩いた。
韓国在住の韓国人で、日本が好きすぎて、日本語がペラペラになったらしい。白川郷も、四国も、私が行ったことないところをあちこち旅行していた。沖縄のシーサーがペアなこともよく知っていて、どうやって覚えたかを教えてくれた。
あちこち歩いてゲストハウスへの帰り道を間違えたわたしに、「もう!先輩なのに!」とツッコミを入れていた。

一緒にかわいい形を探した

はなえさんは、キッチンで料理をしていておしゃべりがはじまった。ゲストハウスとは思えないほど大量の野菜を調理していて、大量の野菜を食べていた。分けてもらった温野菜のサラダや浅漬け、とってもおいしかった。
代わりに、わたしが買っていたアロエベラやマンボウのお刺身を分けて、キッチンで隣に立ったまま食べた。見慣れない食材は、だれかと一緒に食べたほうが記憶に残った。
話していると安心すると言ってくれて、やさしいはなえさんにそんな風に言ってもらえるなんて、じんわりとうれしかった。

島野菜たち

晴れている日を狙って、ずっとやってみたかったシュノーケリングに行った。ご家族と一緒になり、小学生のなずなちゃんが「喋るの好き?なずなも!」と、たくさんおしゃべりしてくれた。姉妹みたいだねと、スタッフの方が笑っていた。
白保の海は、穏やかで、澄んでいる。ハートサンゴ、黄色いサンゴ、クマノミ、青くて小さいスズメダイ、、たくさんサンゴと魚を見た。足ヒレをつけてゆるゆると泳いでいると、お魚と一緒に泳いでいるような気持ちになった。
帰る前、なずなちゃんがシーグラスのかけらを手渡してくれた。大切にポーチにしまった。

実は前日の夜から身体が熱くなったり寒くなったりしていて、気のせいだと言い聞かせてシュノーケリングに行ったものの、午後から仕事をしようとしたら熱が出た。

船に乗って、サンゴがよく見えるところへ

離島に一泊泊まった。人の人口より牛の数が多いという黒島を選んだ。黒島は、コンビニはなくて、小さな商店がひとつ。診療所がひとつ。信号も、交番もない。あるのは、牛と、広大な自然と海と。小中学生は合わせて20人くらい。ここで生まれ育つということは、どういうことなのだろう。
ただただ、静かだった。自転車を漕いでいると、おばちゃんがワゴンカーに大量の草を積んで、牛にえさをやっていた。

人より牛に会う

東京から一時移住してきた人は「石垣にいたら欲がなくなる」と言っていた。「石垣の人は幸せそう、お金を使う娯楽は全然ないけど、海とお酒があれば楽しそう」と。もしそうだとしたら、それでいいよな、と思う。

海を見たら穏やかで晴れやかな気持ちになって、くもりから晴れ間が差したら嬉しくなって、人なんて簡単に環境や天気で左右されてしまう。
普段、いろんなことを、むりやり、意識的に曲げようとしているんじゃないか、と思う。人がどうにかできることなんて限られているのに、がんばることが正しくて、どうにかしようとするから歪みが起こるんじゃないだろうか。働き方も、家族のあり方も、生き方も、すべてなにかの形に収められてしまうなんて、本当はいやだ。

非日常なはずなのに、ご飯を作って、仕事をして、なんなら熱を出して寝込んで、ふだんと変わらない営みをしていたら、日常と勘違いしてしまいそうだった。戻れなくなってしまいそうで、戻らなきゃいけないと思った。

日常のようにごはんを作る

もとの暮らしに帰ってきた。徒歩に大きなスーパーがあって、近くに無印とユニクロがあって、百貨店があって、ほしいものを買おうと思えばすぐ買える。ご飯を作って、仕事をして、淡々と毎日を過ごす。社会とたたかって、折り合いのつけられなさにかなしくなったりするんだと思う。できればそんな日常も愛したいし、確実に安心も得ている。

同時に、まだ知らない景色を求めている。自分の気持ちに素直でいるって、今の私にとっては、行きたいところに行くということ。またすぐ、旅に出ようって決めた。

この景色が見たくて来たんだと思った

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