見出し画像

1月後半の雑記 はじめてのネイルとか両家顔合わせとか

ホットペッパーがクーポンを配ってくれていたから、はじめてジェルネイルをしてもらった。春を思う、鮮やかな朱色を選んだ。手元が目に入るたびに少し元気になる。
経済上、セルフネイルでがんばろうとずっと思っていたけど、いつも体力が限界なのではがれていても寝落ちてしまうし、今日は塗ろうと思っていても寝るを優先してしまう。濃い色が好きだけど、セルフの濃い色はすぐにはがれる。続かないスパイラル。
まだ冬、どうしても服装が重いので、手元だけでも軽やか。服をいつも満点目指すのは難しいけど、ネイルがお洒落だと底上げされる。思っていた以上に精神衛生上良いので、続けていくか前向きに検討。

両家顔合わせの前日、一年ぶりくらいに友人と会った。一年に一回くらいの頻度で細々と会っている。学生時代からの付き合いだから、もう出会って10年弱になるのか。
わたしが引きこもっていた時に「社会になにも貢献していない自分に価値がない」と言ったことをずっと覚えているらしい。社会人一年目か二年目も、まだ感覚過敏がとんでもなくて、周りのうるさい音がてんでダメで、居酒屋に入れなかった。そんなことを振り返ると、誰かと暮らすということも、来年度から少し働き方を変えることも、余裕ができたということなのかもなあという話をした。
社会のかたちに囚われず、遊ぶように仕事をしようとしている友人と話をすると、今選択している仕事の形や勉強は自分のやりたいことに間違っていないな、と再確認ができた。いつか一緒に仕事ができるようにがんばろう。

翌日、島本理生の「あなたの愛人の名前は」を読んだ。職場のお姉さんがすすめてくれた。どうして島本理生はこんなに生々しく感情を表せるんだろう。
多くは結婚前の女性の、恋のような、名前を付けられない関係性を描いている。たがいに愛し合うことを誓えば、すべて万々歳というわけにはいかない。
登場人物たちは、もうひとつの世界線の、わたしだ。こころのすきまがあり、なにかが満たされていない登場人物たち。わたしだけでなく、100%満たされているという人なんて世の中にどれだけいるだろうか。そう思うと、満たされていないながらも別の名前をつけられない関係性でどうにかバランスを取っている人たちのことを、一概に責めるべきことだとは、決して思えないのだ。
今のタイミングで出会えて良かった本だった。

両家顔合わせが終わった。いいお肉を食べた。とても気を張っていて、疲れた。ああ、この人と結婚するのか、とまた思った。
何も変わらないと思っていたけど、なんだか大きく変わる気がする。でも、ただ名前が変わるだけで、わたしはわたしだし、なにも変わることもないはず。今は変わらないけど、未来が変わるという感覚に、そわそわを覚えるのかもしれない。無数にあったはずの未来の道筋が、ひとつ定まるわけだから。

いいなと思ったら応援しよう!