時間も、脳みそも、体も、私の味方
昔から「悲しみ」が苦手で、お父さんに聞いたことがある。
「人間楽しく生きていきたいだけなんだから、楽しい以外の感情をシャットアウトしてしまえばいいんじゃないの、なんで人は悲しむの?」
お父さんには、
「悲しみから学べる事があるはずだよ。これから色んなことを学んだり、人を愛したりするためには、たくさんの感情をきちんと経験すべきだよ」
的なことを言われ、当時何言ってんだジジイ(反抗期でした。本当にごめんなさい。)としか思えなかったが、
「悲しみ」を通して温かな発見をするという出来事があり、アラサーにしてお父さんの言葉の意味を再確認したような気持ちになった。
先日、ほんとなんでもない小さな出来事がきっかけで、地の底まで落ち込んだ。
(いや実際地の底どころかマグマらへんまで行ってたと思う。センターオブジアースだよほんと何言ってんだろ)
今考えても、「まじで大した事無くね?」てことなのに、夜寝る前にその事を考えては胸がキーンと鋭く痛くなって、涙が出てくるのをこらえる…という情緒不安定具合だったのだが、
今日ふと、「いや、つーかなんでこんな事で落ち込んでんの?」とふと我に帰る瞬間がきて、私はそのささいな不幸爆弾をゴミカスに変える事が出来た。
(よろこびの舞♪あよいよい♪)
普段あまり落ち込む事はないのに、最近自分の情緒がおかしすぎる。
ネガティブモードに入った時、皆さんどんな風に脱出するのだろうか。
私は悲しみと戦っても負ける事が分かっているので、基本戦わず、悲しみを受け入れて成り行きに任せる。
しかし、今回に関しては、それが1週間くらい続いたので、さすがに参ってしまった。
(短いですかね、よく根性なしだねと言われるので根性なし視点でしか話せないですが、1週間もネガティブでいるのは私にとってはとても大変な事でした…)
もう頼むからいい加減にしてくれ〜
いつまで私に構うつもりなんだよ〜とっとと君のおうちに帰ってくれよ〜
て毎日夜泣きそうになりながら(とてもじゃないけどアラサーの女が意味不明の涙でダッフィーちゃんを濡らしていたなんて書けません。さすがに不気味すぎます)お願いしていたのだが、なかなか悲しみは私を解放してくれず、毎晩3時くらいまで寝付けなかった。
でも、突然解放されたのだ。
今日3時のおやつにシリアルを食べていた時に。
(昼過ぎに朝食用のシリアルを食ってはいけませんという声が聞こえる…)
「そうだよね、大した事ない、しょーもない、こんなこと!ほんと、人生、さいこー!わはは、生きててよかったワハハ本舗」
と考え続けていたら悲しみは跡形もなくどこかへ行ってしまった。
我々の大勝利である。
じゃあなんでいきなり、今まで悲しんでいた事が「どうでもいい」事だと思えたのか?
次また悲しみが私に狙いを定めた時、対策を講じねばならない。
考えたところ、おそらく、脳みそが私を守るためにいい具合にぶっ壊れてくれたのだという結論に至った。
(大真面目です!投げやりではありません、ほんとにちゃんと考えたのでもう少し私の話を聞いてください)
私がネガティブに支配されている時、おそらく脳みそや体にも、不健全な物質が流れ込まれて、「わたし」という存在が危険にされされている常態にあるのだと思う。
(きっと、なにか不思議なパワーで悪いものをたくさん自分で引き寄せてしまっているのだと思います)
脳みそも体も、「さっさと目を醒まして調子こけや!!」って必死に応援してくれているのに、完全な私が使い物にならないから、もう、いっその事壊れて、正常に心が働かないように私を守ってくれたのだ。
脳みそや体は私が危険な状態である事をちゃんと察知して、私を守ってくれる、パートナーなのだ。
だから、うまく言えないけど、時間もある意味私の味方をしてくれたんだと思う、思いたい。
ネガティブな時って、必ず1回は「自分なんて…」と思う瞬間が来る。
でも、そんな時に今回のことを是非思い出したい。
時間も、脳みそも、体も、みんな私の味方なんだということ。
私は少なくとも1人では無くて、私の悲しみは脳みそと体と一緒にシェアしていて、時間をうまく味方につけながら戦ってくれているということ。
次回から、もし同じようなことが起きた時(おきてほしくないけど)こう思えば少しでも強くいられる気がする。
そして、昔から「悲しみ」が苦手で、向き合うのが本当に下手くそで、悲しみとめちゃくちゃ濃厚にいちゃつくくらいの勢いで悲しみに好き放題されて来たけど、これからはもう少しユニークに迎え入れられるようになりたい。
もうダッフィーを汚く濡らしたくない。
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