自分がどう生きていきたいかは快楽と幸福の違いを自分なりに見出し優先順位を整えることにヒントがあるかもしれない
先週書いた、秩序の中でクリエイティブを見出すことを楽しむことについて、ですが、
最近ヴィーガンレシピを色々試行錯誤することに深くハマりつつあります!
既製品を買えば一瞬ですが、そうではない方法で食べたいものを作る、というのは料理というより図画工作に似ています。
なので失敗の連続です。
なにこれくそまず!!みたいなものが出来上がることは多いのですが、
理科実験みたいな楽しさにやみつきになってしまったのです。
ちなみに私はヴィーガンではありません。
ヴィーガン製品が大好きなヴィーガンでは無い人間です。(お、おう…突然の自己紹介)
最近、自分がどう生きていきたいかをしっかりさせるのが、どれだけ大切なことか思い知ったので、そのことについて書きたいと思います。
やりたくないことをやらなくていい
好きなことだけして生きる!
みたいな考え方をよく見かけます。
それも素敵に耳を楽しませてくれますが、そもそも好きなことを続けるにもストレスは基本的にかかるもの、だと私は思います。
例え好きなことであっても、やりたくないことやストレスを完全に避けて続ける、のは無理なのでは、と思う私です。(そーかい)
なので、自分の望みを叶えるために発生するストレスは自分にとって必要、だと思う次第です。
私も以前は、
やりたいことなんて、やらなくていいんだよ、楽しければそれでオッケー!
という明るさの塊みたいな哲学を大切に温めていました。
それもとても素敵だったのですが、今思えばその頃の私にとっては、
やりたくないことをベースとした人生を歩んでいるというストレスを緩和させるために必要な考え方だったのかもしれません。
別に昔が間違っていたり劣っていて、今が正しくて優れている、なんてことではないのですが、
今の私は、ストレスを真っ向から排除するのではなく、
「自分にとって必要」なものもあるし、「不要」なものもある、
と分別したいのでございます。
それは、
つまり、ストレスや苦悩無くして、自分の願いを叶えることは難しい場合も大いにある、ということを経験したからかもしれません。
例えば、私は立派な砂糖依存ですが、(謎のドヤり)
砂糖依存を抜け出すとき、最初の1週間は毎日機嫌が悪いし苦痛だし、自己嫌悪がすごいです。
ものすごいストレスを感じます。
でも、それが1ヶ月、2ヶ月とたつにつれて、以前より少ない量でも満足出来る状態に心身が変わっていくのです。
上記のように、砂糖依存を抜け出したいな、と思った時に、チャレンジにはストレスが伴います。
そのストレスは、私にとっては必要なもの、いや、感じる価値のあるもの、だと思う、という意味合いでした。
で、現に今解チャレンジを続けていきたい課題に直面している最中なのでございます。
パートナーとの間に見過ごしてはならない課題があるのです。(長くなるので詳細は控えますが)
どうにかしなくてはと思いつつ、重い腰を上げられず、結果的に長期間放置してしまっていた最中、
先日相手が真剣に、その話題について自分の想いを伝えてくれるという機会がありました。
私は悩みました。
なぜなら、相手に歩み寄る場合、私に多大なストレスがかかることは明白だったからです。
しかしながら、「やりたいことなんてやらなくていいんだよ!楽しければオッケー!」
なんて思えませんでした。
この場合(あくまでこの場合)は、私が望む方向には、逃げる、という選択肢ではたどり着けないことに気がついたからです。
結果、私はストレスがかかってでも、相手との人間関係を深めるという道を選びました。
ストレスをなるべく自分にかけずに、逃げる、という道は今回は選びませんでした。
これは自分で決めたことなので、苦労しようがめんどくさいことになろうが、納得して受け入れる心の準備は整っています。
私が今欲しいのは快楽的なチヤホヤではなく、苦悩しながら人間臭く、誰かと関係を深めていくその先、なのです。
何かを選ぶということは何かを失う、ということですが、
失うことも、挑戦することも、自分で決めたことなので嬉し楽しい尊いでございます。
そして、ストレスがかかろうとも、このチャレンジの先にどんな未来が舞っているのか(はたまたどんな苦悩が舞っているのか)楽しみでございます。
ドビーはドMでございます。おおお。
快楽と幸福とは、似て非なるものだと思います。
(あくまで私の目で見えてるものなので、人それぞれ解釈は違うとは思いますもちろんでございます)
快楽は一時的に幸福に似たような状態を脳みそに提供しますが、
土台や基礎にはならないので、満足感や達成感、充足感というものは発生しにくく、花火のようにその場その場でパッと咲いて散って灰に〜(すみません私の中のクリーピーナッツが)なるんだと思います。
それに対して幸福というのは、積み上げていくその過程の中で咲くたんぽぽのようなイメージです。
予想だにしない場所に突然咲いて、踏み潰されてもへこたれないようなイメージです。
快楽は、心身の健康を削ることになりますが即効性のある癒やしを感じられます。(と私は思います)
幸福は、長期戦にはなるため苦悩することがありますが、努力を積み重ねた上にあるものだと思うので、感じにくい、けどずっと自分を支えるものです。(と私は思います)
自分が今、何に向かいたいか、を考えた時に、やるべきことは変わってくると思うので、
何を求めようと、人に何を言われようと、自分だけに価値がある目標に向かって、覚悟を持って生きていきたい次第なのでございます。
全然関係無いですが、自分の作ったご飯を捨てる瞬間って、
自分を否定されるのとものすごい同じ感覚になるの、私だけでしょうか?
先程煮物を腐らせてしまったようで、捨てなきゃいけなかったのですが、
ものすごい悲しくて落ち込んでいます…。
おうちのネズミを撫で回して自分の機嫌を取り返そうと思います!
おつかれっした!!!!!
した!!!!!!!