若者は本を読めという活字老害について
はじめに
よく、最近の若者は本を読まないだの、SNSによる若者の活字離れだの言われますが、巷に蔓延る活字老害による脊髄反射かつ上目線の自己満足系お気持ちポストがネット上に垂れ流されているのが目に余るので、個人的な思いを雑に書いておきます。
活字老害の存在確認と、立ち位置
活字老害と言えば、ライフネット生命創業者の老害とか、元日本マイクロソフト社長の老害とか、AIは東大の入試に原理的に合格することはできないから、こどもは読解力を鍛えるしかないとかのたまう女老害など、腐るほどいますよね。
以下、分類してみます。
自著を買わせることで儲けたい
活字老害のほとんどが出版業界と関係しています。
ほぼ自著を出版しており、とりあえず自分の本を売って儲けたい。さらに言うと、別に実際に買った若者がその本を読了する必要もなく、積読でもいいから買わせたい。
その目的を達成するため、読書しないとあなたの人生に悪影響がありますよ?的な煽りを流布して洗脳し、子どもの将来を憂う子育て世代とかにもよく刺さるこういう言説を広め、とにかく本を買わせたい。完全に不安商法です。ポジショントークで本を読めと言ってくる。
XやYoutubeをはじめとするSNSはマーケティングの主戦場であり、細りゆく出版業界に寄生して、人生の行き先に不安を感じる若者をちょいとステマ操作して搾取することを虎視眈々と狙う輩がいること(そして、そのような人のほうが発言が強いこと)を理解しておきましょう。
自分が成功したのは読書経験のおかげと勘違いしている
成り上がり系の経営者とかに多いタイプの老害ですね。
でも、それって因果関係はっきりしてないですよね。
親ガチャ(遺伝的な能力と世帯収入も含む生活環境の両方)の影響のほうが、明らかに大きくないですか?
洗脳されて読書いっぱいしてるけど貧乏な人って死ぬほどいますけど。
まさに生存者バイアス、誤った自己正当化、自身の拙い経験からしか物事を考えられず、他人への想像力が働いていないように見受けられます。
あれ、たくさん本を読んでいて賢いはずのに、なぜこうなってしまうのでしょうか?
おかしいですねぇ?
教育関係者が脳死している
公務員だから。の一言でもいいくらいで説明するのも億劫なのですが、学校教員とか文科省の役人とか教育評論家とか、教育業界の関係者っていうのはもう教科書を神聖なる経典だと思ってる節がありますよね。
盲目的に教科書を使い、教科書に書いてあることをなぞり生徒に記憶させることしか考えていない。
あと、授業でクソ退屈な内容ゼロのごみエッセイを音読させたり、夏休みの宿題で読書感想文とか書かせてくる。
前例主義、変革忌避、事なかれ体質。効率を考えず、先代がやってきたことを無限に模倣しつづけ、給料が低い、サビ残がしんどいと愚痴を言う。
まぁ、公務員だから。
おめーらの土俵で戦う気、ねーから
活字老害は、脳死で自分が生き抜いた時代の成功体験を若い世代に押し付けがちで、そりゃあんたらの世代はそれしか情報伝達のテクノロジーがなかったんだからしょうがないよね、でも今はもっと楽で魅力的で効率的で、コストもかからない知識の伝達方法がいくらでもあるので、口出さんといてほしい。
うさぎ跳びを強要してくる体育会系部活の顧問みたいで、恥ずべき行為ですよ。
自分たちの土俵で、すでに経験値の蓄積がある(マウントを取りやすい)ホームゲームを強要して、若者は読書量がたりないなぁ、ワシはこんなに本読むけど?みたいな比較優位的快楽をむさぼりたい、読書量ハラスメントです。
どんなに実生活がかわいそうな活字老害でも、比較して現代の若者よりも(そもそも生存年数の差により)読書量もムダに多く、それが覆る心配もないので安心して比較優越の快楽に浸れる。
だせぇ。若者にマウンティングを取り自尊心を保っていく害悪行為。マウンティングポルノ。
情報を伝達するという目的をはき違える老害たち
本来、なぜ本を読むという行為がこんなにも浸透しているのかというと、単純に情報を伝達するのが目的であって、本を読むという行為自体は目的ではないです。
活字老害の時代、本を読むという行為が一般的に正当化されていたのはなぜか?
それは、個人の知識や経験、感想を他人または後世に伝える手段として、当時の技術では活字印刷という手段しか存在しなかったからです。
人間という生命体はだいたい100年くらいで死んでしまうので、後世に知識を伝えるのは大事です。車輪の再発明を繰り返していてもなにも進歩しないので。
また、いかに他人よりも効率よく、自分の人生に有利に働く知識を吸収できるかが、資本主義社会において競争に勝つ=他個体と比較して裕福な生活を手に入れることができる確率を上げてくれます。
で、これまではそれを可能にしてくれる手段として、有識者が活字で紙にアウトプットをし、それを必要とする者が文字情報を読むことで脳にインプットする。これしかなかった。
いや、これしかなかったというと語弊があり、1対少人数であれば、口頭で伝達することも可能ですが、スケールしない。
不特定多数に対する文章を使った情報の伝達方法の効率を考えたら、あんまりよくないですよね、普通に考えると。
文章での情報伝達のデメリット
まず、脳の中の知識を文章に変換する時点で、何か大事なものがそぎ落とされている可能性があります。
脳の中に蓄積された膨大な情報が、活字という制約の多い表現に非可逆圧縮され、前提となる必須知識が抜けてしまったり、著者の言葉の使い方によって大事な部分がそもそも出力されない可能性があります。
また、出版物であれば編集で改変される可能性、海外の文献であれば翻訳で意訳・誤訳される可能性があり、そもそも出版物が著者の思い通りに書かれていない可能性があります。
すべては可能性。
で今度は読む側ですが、読み手が3行以上の文章の文脈を理解できない場合、その本を読んでいる時間自体がムダになります。
時間をかけて読了しても、理解できないんだから。
人によっては、文脈は理解できるけど、記憶できない、即忘却しちゃう人もいます。
それから、知らない単語・読めない漢字・聞いたことのないことわざ・四字熟語・方言が出てくるとそれだけで読み手側の情報取得効率が悪くなりますよね。
あと文体も、書き手と受け手の相性があるので、それがミスマッチだと読むこと自体がストレスになりますね。論文形式とか法律の文章は読みにくくてしょうがないですよね。そもそも一般人に読ませる気がない。
たとえば古典も書いてある内容はバカでも理解できる程度の駄文なのに、文体がキモくて全然伝わってこない。
ドストエフスキーの小説の文体とか、読みにくくてしょうがないと思いますけど。
そもそも本を読むこと自体に苦痛を感じる人もいるので、こればっかりはどうしようもない。
ここまでをまとめると、文章は書く側と読む側の知識量や意識、文体の嗜好が一致しない場合が多く、情報が正確に伝わる効率が悪い、です。
めっちゃ簡単に言うと、勉強できる奴がすごくためになる内容の本を書いたとしても、バカはそれを読めないから伝わらない、ってことです。
Xでも、たった数行の文章が投稿者の意図とは全く違う解釈をされて、リプ欄で摩擦が起きてるのを四六時中観察できますしね。
なんか、コスパ最悪って感じです。
あとデメリットは他にも、本そのものを買うコストが高いとか、(電子書籍は除いて)紙を使うので地球環境に悪いとかありますよね。
ほら、新聞とか環境には最悪なんじゃないですか?
リサイクルをうたってますが、新聞紙の原料は100%が古紙ではなく40%は普通に輸入パルプや木材を使ってるので、なんの免罪符にもならないでしょ。それだけじゃなく、インクも(新聞発行会社側はインクには大豆由来の成分を混ぜて薄めたから環境にいいとかほざいてますけど、濃度が下がっただけで新聞の発行自体をやめたほうが環境にいいに決まってるやん)環境に良くないし、配送時に温暖化ガス(排気ガス)を大量放出するし、グレタでも小泉でもいいから誰かなんとかしてくれ。
SDGsがどうとか言ってる暇があったら、消費税の軽減税率で優遇してないで紙媒体の新聞の発行を規制する、くらいしてほしいもんです。
活字に変わる効率的な情報伝達手段とは
現代においては、本を読んで知識を身に着けるよりも、楽しくて効率的に身に着けられる方法がたくさんあります。
たとえば、動画(テレビ番組やYoutubeなど)、映画、ゲーム、マンガ、SNSです。
はい、この並びを見て、「なんだ、我々が意識高く行ってきた崇高な読書体験によって教養を身に着け世界の理を涵養する行為にケチをつけてきた割に、代替手段が子どもの遊びレベルのメディアを羅列しただけかよ、バカの戯言だな」と思われたあなた、お疲れさまでした。さようなら。
旧活字メディアとの違い
これらのメディアにおける活字媒体との違いで重要な部分は、活字+画像/音声/動画のようなマルチモーダルな媒体のほうが、情報の伝達効率もよく、さらに受け手側の記憶定着率も高くなる、ということです。
SNSに関しては、Xやフェイスブックなどは基本的には活字メディアという点では差がないのですが、文字数が少なく文体が口語調でバカでも理解しやすい、アクセスの容易さが旧活字メディアと違って恐ろしく優れているので、載せました。
それに、XもFBも活字だけじゃなく画像も動画も音声も投稿できますしね。
動画(テレビ番組やYoutubeなど)
まずテレビ番組ですが、物事をわかりやすく説明する能力がズバ抜けて高いです。NHK・民放問わないですが、どちらかというと民放のほうが高い。
池上彰の番組を例に出して言うと、週刊こどもニュースのNHK時代はかなり池上彰の話術に頼っていた感がありますが、テレ朝のニュースそうだったのか!!になると、VTRも解説用フリップもNHK時代と比べて金がかかっているのもあり、格段にわかりやすい。
競争原理と資本主義って大事ですね。
あと、朝昼夜のニュース番組や、ワイドショー、旅番組、世界遺産とかの紹介番組、クイズ番組、文化の紹介などいろいろありますが、押しなべてマジで理解しやすい。
たとえば、文章でモロッコの世界遺産「アイト・ベン・ハドゥの集落」についての説明文を読むのと、世界ふしぎ発見(もう放送終了したんだっけ?)でミステリーハンターが現地でレポートをしてくれて、さらにクイズまで出題してくるのと、どっちが情報の伝達と効率が高いのか、ってことです。
テレビ番組のVTRはやっぱり編集技術がすごくて、テロップ、効果音、ナレーションの絶妙な加減、すべての仕事がプロフェッショナル。
それに情報番組でよく見るフリップも、制作会社のデザイナーがちゃんと入って監修しているので、認知しやすいデザインと配置で、しかもめくりとかの仕掛けもあり引き込まれる。それをフリップ取り扱いスキルのあるMCが話術とともに伏せられた部分をめくりながら解説してくれるので、めちゃめちゃわかりやすい。
学校と比較してみてくださいよ、話術もない、ユーモアもない、なんの専門性もないただの未経験新卒教員(もしくは年月を経ても能力的には何も変わらないベテラン教師)が、読みにくい文体でデザインもゴミな教科書をひたすら朗読 or 板書しつづける地獄(教室)での生徒たちの理解度と。
東進ハイスクールが講師陣の授業をビデオ化して全国の生徒に人気投票させる、その競争の頂点に上り詰めた林修が民放で番組をやっているのは、理にかなってますよ。
物事をわかりやすく解説、理解させる能力が一番高いのは、テレビ番組で間違いないです。
さて、Youtubeなどの素人動画投稿サービスはどうかというと、こちらは個人(素人)が投稿できるので質の低い動画も腐るほど存在していますが、ものすごい競争原理がはたらいているので、結局は民放テレビ番組と同じように、わかりやすいコンテンツに人気が集約していきます。
ヒカキンもはじめしゃちょーも、有名Youtuberの動画はみんな編集技術やテロップの付け方、効果音の入れ方が基本的にテレビ番組のパクリです。
で、最近はテレビの報道番組がYoutubeチャンネルを運営していたり、テレビの有力プロデューサーが退職後、Youtubeで番組制作をしはじめたりすることが増えてきてます。
テレビ番組の編集ノウハウがYoutubeに取り入れられているんですよね。
それと、Youtubeは世界中のコンテンツが競争しているので、さらに情報の伝達効率があがっていくはずです。
現時点でもいろいろクオリティの高いチャンネルがありますが、今後はおそらく外国のコンテンツもAIが自動翻訳してくれるようになるので、国際情勢の解説、歴史の解説、サイエンス解説、自然・生物観察、宇宙・物理解説・工場見学・最新技術解説・プログラミング・外国語学習など、質の高いコンテンツが自宅で見れるようになるでしょう。
しかも全部無料で。
話をまとめると、活字メディアと動画メディアの情報伝達の効率で言うと、動画のほうが数倍は効率がいいです。
活字ではそぎ落とされてしまっていた言語化できない部分も映像の中の演者の表情や身振り手振と音声で伝わるし、音声で聞き取りにくかったりする部分もテロップで補助される、VTRやフリップの表やグラフで視覚的にも理解が促進され、クイズ形式や仕掛けられたさまざまなギミックで飽きが来ないように工夫されていて、MCとパネリストたちのやり取りで楽しく情報を取得できる。
これらを10分~20分の時間に圧縮してコンテンツとしてまとめられる能力ってすごい、これ相当コスパいいです。
あとは、視聴者が好感をもっているタレントが出演している場合に、副次的にコンテンツの内容理解も進みそうですね。
学校の先生の授業とか、有名大学の知らねー教授が書いた本を読むより、池上彰や林修がMCをしている番組に、自分が推している旧ジャニタレや坂道系のアイドルが出演していた場合、フック効果で興味のない話題についての理解も進むでしょ。
映画
これについては、もう本なんかとは比べ物にならないくらい、情報伝達の手段としては有用です。
具体例を1つだけ上げますが、戦争経験者とかリベラル寄りの人たちが、若者に戦争の悲惨さを伝えたいと思ったときに、戦争の体験をつづった本を読ませた上で感想文を書かせるほうがいいのか、スピルバーグの名作「プライベート・ライアン」を見せるほうがいいのか、この違いです。
ゲーム
ゲームはもう最高の教育メディアだと思っているので、もう活字メディアとかワンパン即死です。
スキル上達への段階型PDCAサイクルが最高に人間の生体とマッチしていて、具体的には、各段階における達成目標が適切に設定されており、自発的に挑戦し、失敗し、原因分析と達成手段の再考、再挑戦、達成時の報酬による快楽と興奮、これが繰り返される仕組みなので、楽しく自発的にスキルを高めることができる。
情報のインプットとアウトプットが同時にできて、かつ自分のスキルを数値化し他人と比較もできるので、競争心と向上心、やる気がスキルアップにブーストをかける。
さらに、バッジ報酬とかのやり込み要素で網羅性も確保できる。
世はまさにゲーミフィケーションの時代、完璧です。
マンガ
言わずもがな、本なんか読むよりもマンガ読んでたほうが情報を習得しやすいのは、歴史マンガとかでもう証明済みなんじゃないですかね?
SNS
リアルタイムでの情報共有や意見交換が行えるため、即時性が求められる情報の伝達には非常に効率的です。
結論
こんなに長文になることは想定外だったので、途中で完全に心が折れてます。
このトピックを最初に書こうと思ったのは、教育関係者が明らかに怠慢なんじゃないかと思ったことがきっかけなんですよね。
生徒に知識を教える手法を何も工夫しようとしない。
生徒が苦痛を感じているかどうかを無視し、とにかく本・文章を読ませればいいと思っている。
すべての国民に基礎知識を理解させ、記憶に定着させる、という本来の目的を忘れ、本(教科書)を読むことが目的になっている。
そこに違和感があるんですよね。
本気で教科書に書いてあることを理解させたいのであれば、文科省が有能な解説スキルの高いYoutuber達に教科書の解説動画を100パターンとか作らせ、それを市場で競争させて人気の高い順にランキングし、学校の授業のかわりにそれを視聴させるだけで、今の授業形態よりも内容理解度の模擬試験の点数は上がるんじゃないですかねぇ。
で、活字老害のハラスメント問題ですが、本を読むのは個人の趣味で勝手にやってもらえばいいです。
下の世代に対して菊と刀がどうとか、坂の上の雲がどうとか、もう限界老人オタクサークルのキモいレコメンドされたくないので話しかけないでください。
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