弱気と強気
先日までかなりタフな現場に入っていた。プロジェクトの初日に一人が退場となり、1週間後に一人が自主退場。他のメンバーも口々にしんどいと洩らす。そんな現場で、しばらく動揺と緊張を抱え、自分をすり減らしていた。
普段より明らかに気弱になっていたと思う。回ってくる仕事のほとんどが他の人のそれよりも厄介なもので、いわゆる引きが悪い案件が、何故だかどんどん自分のもとに来た。疲弊していた原因は、自分のスキルが足りないと思っていたからだ。でも、厄介ごとをこなすうちに、どうもそれは違うと気付いた。なぜそう思ったかは仕事内容を詳しく書くことになるので控えるが、そこからの私は、開き直って、なんでもこいや!!!くらいの気持ちで日々を過ごした。すると、不思議と厄介ごとが回ってこなくなった。というか、回ってきてもそう感じない自分になっていたのではないかと思う。
気持ちって大事だ。私の場合、弱気でいればまず自分に潰される。自分のせいにし、自分を責めるのが得意だから。弱気とはある意味、自分で自分をナメている状態で、それでは力が出るはずがない。自分を信用するという言葉があるが、それにはどうしても時間がかかる。でも、ナメないということはすぐできる。ナメずにいるだけでいいのだから。
家族には、もう行かんでもいいんと違う?これはもはやお金の問題ではないよ?と言われていた案件。でも、そうすれば私の性格上、他の案件にも二度と行けなくなるであろうことが分かっていた。だから、プロジェクト中に弱気を強気に変えられたことは良かったし、よくやったぞ自分!と思う。基本ビビりな私が世の中を渡っていくには、強気でいるくらいが丁度良いのだ。
そういえば、この間ある実験をしていた。
興味深いことに、サイコロを振って「絶」が出た日を境に、私は弱気から強気に変わった。絶とはある意味あの世のことで、自分のエネルギーが一番弱くなっていることを表すが、サイクルで見れば生まれ変わる時でもあるので、ちょうどピッタリなものが出たことになる。とはいえ、そこからサイコロを振ることもしなくなってしまったので、データ取りとしては失敗に終わった。
今回は、強気と弱気で明らかに引きが変わることが分かったので、そういう意味では面白かった。でも、まぁ、終わってホッとしています。