学びは続くよ、どこまでも。
占い師として世に出ても、占いの勉強は続く。誰かのブログに書かれてある知識を集めて独学するには情報は少なすぎるし、間違いが混ざっている可能性もある。本で学べるような基本的なことも、独学だと思い込みで読んでしまう可能性もあるし、口伝のものは口伝でしか得られないので師匠から学ぶ。
けれど一方で、鑑定の中でしか光らない場所があって、一緒にお話しする中でしか見つけられないルートがある。きっとそれはその命式の持ち主が人生の中で作ってきた道で。そういうのを一緒に発見出来たらめちゃくちゃ楽しい。だから、なるべくたくさん発見できるように私は学び研究し続けようと思う。
パソコンの世界の勉強も続く。IT技術はよそ見している間に進化する。何かを作るたびに調べることがあり、理解した!と思った時にはその技術は古くなっていることもある。ではなぜ学ぶのか。なぜなら、調べたものが確かなものなのか判断するのは自分だから。その時作るものにおいて、何を参考にしてどの部分が使えるのかは、学んでなければ分からない。
きっとどの業界もそうだ。
誰でも簡単にできると謳い、綺麗に見せて、潜在的に不安を持つ人を取り込んでいくような商売のやり方を時に見る。もちろん、参入のハードルが下がることは良い。でも、簡単な入り口でも、その先が簡単じゃないことはたくさんある。
「私もやればできる」という言葉は、本当にそうだろうか?何故か私は、やればできるけれどお願いしたとか、やり方を知っていれば自分でどうにでもできますよねと言われがちだった。
(念のために書いておくと、ここで言いたいことは、他人の仕事にそういう言葉を使うことへの疑問であって、自分への鼓舞や、誰かへの励ましの時に使う「やればできる」ではない。)
クリエイターの方の話でも、簡単でいいからパパっと作ってよと軽く言われることがあると聞く。料理に例えても、ポテサラを作ったことのない人はジャガイモの皮をむくのがどれだけ大変か分からない。揚げ物をしたことがない人は、あれがどれだけ熱いか分からないだろうし、後片付けのめんどくささも分からないのだ。
完成品だけを見て浅い想像で私もやればできるとわざわざ口にする人には、想像できる範囲のものを叶えるだけでも想像外の技術や経験が必要ですよと言いたい。簡単にできる部分以上に難しい部分はたくさんあって、しかもそれは経験でしか得られないのだ。
人が能力を発揮する場って、何かと引き換えにできている。かけた時間、かけたお金、家族の応援があるかもしれないし、反対があるかもしれない。何度も涙を流したのかもしれない。するっとできたものでも、継続しようと思えばそれなりの努力がいる。そういうもので、その人の土俵が出来上がる。だから、他人の土俵を気軽に扱ったら絶対に駄目なのだ。
私は自分の土俵を耕し豊かにしたい人を応援したい。私の土俵も豊かにしたい。そのために、学びは続くよ、どこまでも。
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