「孤独」は「自分とのデート」なのだ!
ぴよ🐥です!日付が過ぎてしまいましたが、今日もありがとうございます。
さて、10連休ものGWも始まり2日目。この10日間が始まる前に決めていたことがある。
それは、予定をあえて入れずに「孤独」を味わうこと。理由は、2つあって。1つは「孤独」を感じることをまだまだ否定していたり、受け入れられずにいるから。そのせいで、「孤独」という不安から逃げるために自分の望みとは違う選択をすることがあるから。私はないけど…寂しいから好きではない人と付き合うとか、まさしくこれ。1つ目に関連してるけど、誰かといても結局、色んなことを選択したり判断するのは自分しかいない。つまり、人から「孤独」ということを切り離せないと思ったのだ。
で、家の中で断捨離しながら、「孤独」にこれでもか!というほど浸ってた。そしたら、出てくる、出てくる、色んな思い込みがね。「孤独」な自分は「可哀想な人」。「孤独」な自分は「寂しい人」。「孤独」な自分は「残念な人」。「孤独」な自分は「相手に見向きもされない人」。「孤独」な自分なんて嫌だ。「孤独」な自分はダメとか。で、最後に「孤独」な自分は、一生孤独なんじゃないか?って泣きたいぐらい不安になった。
そんな時、ふとあるメッセージが流れてきた。すごい偶然で「孤独」についての内容(笑) そこには、「孤独」は誰でも持ってる感情であり、本能だということ。さらには、「孤独」は「自分とデートする時間」だと思ってみたら?と書かれていた。それを見た瞬間、なるほど!!って思い、「デートする」のを想像してみた。自分じゃなくて、好きな人や彼氏だったらすごくワクワクするよね。髪型どうしよ?とか、お化粧どんな感じにしよ?とか、お洋服は何を着ていこう?、ハンカチどれ持って行こう?ネイルは?などなど。
でも、「自分と家でデートする時」は髪型なんて気にしないし、すっぴんだし、女性らしさなんてほぼない。気づかないうちに、自分のことをないがしろにしているのかも。そんなことを思い始め、断捨離するだけだけど、髪型も好きなようにアレンジしてリップだけでもつけたのだ。それだけで、いつもとは気分が変わるのね。
今日、少しだけ「孤独な自分」を受け入れられた気がする。