石の日
まえがき
石については、考えさせられることが実に多い。
今回はロジェ・カイヨワの「石が書く」を眺めよう
「石が書く」
ロジェ・カイヨワの『石が書く』は、長らく入手困難であった名著が新訳で復刊された独特な美学的論考である。
カイヨワ自身の石コレクションをもとに執筆されたこの著作では、特異な模様を持つ石(風景石、瑪瑙、セプタリアなど)に焦点を当てながら、石の美しさと普遍的な美の存在について論じている。書籍にはカラー46点、モノクロ1点の石の図版が掲載されており、象形文字のような模様、摩天楼、天変地異の風景、パウル・クレー作品のような石など、多様な石が紹介されている。
カイヨワは、石の美しさを通じて独自の思想を展開している。石の美は普遍的な美の存在を示すものであり、人間の芸術は自然の天才の一部分に過ぎないと主張する。また、石を人間の想像力に働きかける存在として捉えている。
カイヨワにとって石は、人間の創意や才能とは無関係に達成された何かを提示する存在であった。石の美しさは美の概念そのものに先立ち、その保証であり支柱であると考えられている。さらに、石は宇宙の「秘密の暗号」を内包するものとして見なされている。
『石が書く』は、人間中心主義的な芸術観に疑問を投げかけ、自然界に存在する美的価値の普遍性を示唆し、人間の美的感覚や想像力の源泉が自然にあることを主張する重要な著作である。この著作は、美学、哲学、自然科学の境界を越えた独特な視点を提供し、読者に石の美しさを通じて宇宙の神秘を考察する機会を与えている。
石の実存
カイヨワは石の美しさが「美の概念そのものに先立ち」、その「保証であり支柱である」と述べており、これは実存主義の中心的な考え方である「実存は本質に先立つ」という概念と呼応している。また、石の模様を解釈する人間の傾向は、実存主義が強調する「意味の創造」という概念を反映している。カイヨワは、人間が石の中に見出す意味や形は、その人の経験や文化、歴史によって形作られると指摘している。
カイヨワの石に対するアプローチは、実存主義的な人間中心主義への挑戦とも解釈できる。カイヨワは人間の芸術を「自然の天才の一部分に過ぎない」と考え、これは人間の創造性を相対化し、自然界の中での人間の位置づけを再考させる。石の存在を通じて、カイヨワは人間の視点を超えた宇宙の秩序や「普遍的な構文」の存在を示唆しており、これは実存主義が強調する個人の主観性を超えた視点を提供している。
カイヨワの石への探求は、実存主義的な問いを喚起する。石の中に見出される予期せぬ美や複雑さは、存在そのものの神秘を示唆し、人間の実存に対する深い問いかけを促す。カイヨワは石が「空間を要約し、時間を凝縮している」と述べており、これは人間の有限な実存と対比される永遠性の概念を提示している。
カイヨワはそもそも、遊びと人間という本で知った思想家である。
ちょっと復習しておこう
カイヨワの遊び
カイヨワの『遊びと人間』における遊びの概念は、実存哲学の核心的なテーマと深く結びついている。カイヨワは遊びを「自由な活動」と定義しており、これは実存主義が強調する人間の根本的な自由と選択の概念と呼応している。また、カイヨワの「パイディア」の概念は、人間の原初的な遊びの衝動を指すが、これは実存主義の「実存は本質に先立つ」という考え方と通じるものがある。
カイヨワの遊び理論は、実存主義の「意味の創造」という概念と密接に関連している。カイヨワは、人間には「世界に意味のある変化を与えたい」という欲望があると指摘しており、これは実存主義が主張する、人間が自らの存在に意味を与える必要性と重なる。また、カイヨワの「ルドゥス」の概念は、遊びに規則を導入することで自己実現を図る過程を示しており、これは実存主義の自己創造の概念と類似している。
カイヨワの思想は、実存主義が探求する人間の条件についての洞察を提供している。カイヨワの『戦争論』では、人間が戦争に惹きつけられる本性を分析しているが、これは実存主義が直面する人間の不条理な側面の探求と重なる。また、カイヨワは、戦争という極限状況において人間が自己を超えた真の偉大さを獲得し、自らの運命に合致した自由を見出すという考えを紹介しており、これは実存主義の自由と責任の概念と深く関連している。
人間中心主義への挑戦
人間の視点を超えた普遍的な視点を持つことは、現代社会においてさまざまな重要な意義を持つ。カイヨワの『石が書く』に見られる自然や宇宙の秩序への洞察と重ね合わせることで、この意義はより深く理解される。
普遍的な視点を持つことは、まず自己中心主義からの脱却を促す。普遍的な視点は、個人の利己的な欲求や狭い価値観を超え、物事をより広い文脈で捉える力を養う。この視点を持つことで、人間中心主義が内包する限界を理解し、他者や社会全体、さらには自然や宇宙への影響を考慮することが可能となる。カイヨワが石の美に普遍性を見出したように、広い視点を持つことで、人間の狭い枠組みを超えた新たな価値観を獲得することができる。
次に、普遍的な視点は倫理的判断の基盤を提供する。カントの道徳哲学における普遍的法則の概念は、個人の主観を超えた客観的な判断基準を提示している。これは、カイヨワが石の中に見出した自然の秩序や美と共鳴するものである。普遍的な視点を通じて、倫理的判断はより広範で深い根拠を持つことができる。
また、普遍的な視点は人権意識の向上にも寄与する。基本的人権の普遍性を理解することで、個々人の尊厳や平等性への認識が深まり、差別や偏見の克服、多様性の尊重といった社会的課題への対応力が向上する。このような視点は、カイヨワが自然の美に示したように、異質なものを受け入れる姿勢にも通じる。
さらに、普遍的な視点は科学的思考の基盤ともなる。自然法則や数学的真理のように、文化や個人を超越した原理を追求する科学の方法論は、普遍性を前提とするものである。カイヨワが石の模様に宇宙的な秩序を見出したように、科学的探究もまた、人間の枠組みを超えた普遍的な理解を目指している。
こうした普遍的視点は、グローバルな課題への取り組みにおいても不可欠である。環境問題や平和構築といった人類共通の課題は、国や文化を超えた普遍的な視点を持つことで、効果的な解決策が模索できる。これらの問題に取り組む際、個別的な利害を超えた普遍的なアプローチが求められる。
あとがき
最近、noteが長すぎるという指摘を読者の方からいただいた。
今年から短くしていこうと思う
石が普遍的視点を人間に投げかけるのは、石のもつ大きなパワーである。
なにがあろうと超然とそこにいる・・・その奥からものすごい力を感じてしまうのも人間の感受性というわけである。