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幽霊の日

 四谷怪談が初上演されたのが、文政8年の7月26日だったことから。
 東海道四谷怪談という。この”東海道”っていったいなんだろう。
いろんな説があるだろうが、この四谷は藤沢にそういう地名があって、東海道をのっけたという説があった。
●劇中劇
そもそも仮名手本忠臣蔵の中の物語として上演されている。
すると途端に物語中物語という入れ子の構造がみえてくる。アンドレ・ジッドの”贋金つくり”などにみられる構造である。イタロ・カルヴィーノの「冬の夜ひとりの旅人が」では8編もの劇中劇がある。
フランス語でこの構造をmise en abyme という。紋章の中に独立の模様をはめ込むことからの表現。ジッドは次のように日記に書いた。

J'aime assez qu'en une œuvre d'art on retrouve ainsi transposé, à l'échelle des personnages, le sujet même de cette œuvre par comparaison avec ce procédé du blason qui consiste, dans le premier, à mettre le second en abyme.

メタ構造をもつとも云われる。「贋金つくり」についていえば、「贋金つくり」という物語をエドアールおじさんが書いたとする。そういうメタ構造をもつことで、物語は作者の手を離れる。
 劇中劇というプロットは輻輳的な効果を生み、お岩の無念が忠臣蔵の志士に乗り移るようである。

●フレーゲ
 今日はフレーゲの命日にあたる。フレーゲは分析哲学の始祖といわれ、ウィトゲンシュタインやフッサールに影響を与えた。
私自身は不勉強で、フレーゲの著作を真剣に読んだことがない。
フレーゲの著作はこの二人の著作の物語中物語として私の中に存在する。
ウィトゲンシュタインは、フレーゲ自身の薦めもあり、フレーゲの「算術の基礎論法」の英訳に挑んでいる。ラッセルは1902年にフレーゲ宛に手紙を書く。有名なラッセルのパラドックスだ。集合の集合というのを考えたときに、自分自身を含まない集合というのを定義すると、矛盾が生じるというものだ。そしてこの矛盾を解決するのにツェロメロがZFCを編みだす。集合の集合というのは構成因子の集合からみるとメタ構造がある。メタ(外延)と構成要素(内包)とを行き来するときには、階層構造という限界設定が必要である。内包公理に強弱をつけて、強い内包公理は認めないといったりする。これはチューリングマシンとフレームの問題でもある。
 いわゆる公理系のたたき台をつくったのがフレーゲである。今日コンピュータがプログラム言語によって動かせるのもフレーゲが述語論理を取り入れたからである。関数の関数といった高階関数(ラムダ)もフレーゲがすでに考えた。無名関数とか内包表記もフレーゲだ。プログラム言語を学ぶものはフレーゲをまず学ぶべきなのかもしれない。

●機械の中の幽霊
 チューリングマシンのフレーム問題は、哲学的話題だ。簡単にいうと、機械は心を持てるのかという話題になる。それを幽霊と喩えたのはギルバート・ライルである。物心二元論を唱えたのはデカルトであるが、デカルトは心を実体として取り上げすぎた。つまり、心を機械の部品のように取り上げたところにカテゴリーミスがあるというのである。フレーゲは公理は外延・内包からなる。そこに意味はない。意味は第三の領域だと別カテゴリーにした。(これについては来年の宿題にしよう)
 ということは、幽霊は存在するかどうかと同じくらい、心の存在が危ぶまれてくる。

C’était fatal ! À force de confier aux ordinateurs une part de plus en plus importante dans le calcul, il fallait bien qu’un jour ils exigent, haut et fort, une place dans la théorie mathématique elle-même. Les esclaves allaient se rebiffer. Excédés d’être pris pour de simples outils, de simples moyens, ils allaient demander à prendre la place des maîtres. C’est ce qui arrive dans un petit livre éblouissant, dont le titre est déjà tout un programme : « Ad infinitum, le fantôme dans la machine de Turing ou comment chasser Dieu des mathématiques pour mettre à sa place le corps du mathématicien » (ou plutôt, comme nous allons le voir, « les corps » des mathématiciens, car ils en ont justement plusieurs et c’est là tout le sel de l’histoire).

●限界設定
 個人的には幽霊はいてほしくない。死をもってケリをつけたいのに、死してなお、この世に恨みや未練を残すのは、外延がすぎるのではないかと私の心は思ってしまう。それはZFCによって退けたいと思ってしまうのである。
 ウィトゲンシュタインは、語り得ぬものには沈黙しなければならないといった。彼の前期の思想の集大成である論理哲学論考の最後の命題だ。これによって彼は哲学にケリをつけた。(後期では必ずしもそうは見えない)

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 お岩の無念がメタレベルにだだ漏れになる。そこに恐ろしさを感じるという心をまた言語が捏造してしまうのを防げない。そういう伝播、心の伝わり、無念の連鎖によってまた無念が輻輳していく。これは終わりがないから、弔いをするのだが、これも仕切れない。
 四谷は、雑司が谷に四谷という地名があった。だから四ツ谷駅から少し距離がある。私なんかは、番町皿屋敷と、四谷怪談とをまぜこぜにしてしまうのであるが、番町のほうはいまの四谷駅に近い。
 お岩は軽々しく扱うと祟があるという、だから演者は陽運寺に安全祈願をするのだが、その最寄りは四谷駅だ。さらには、於岩稲荷田宮神社もある。こちらも四谷が最寄駅・・・・しかも中央区にも同名の神社がある。謎が謎を呼んで終わらない。四谷(新宿区左門町)にあった神社が移転し歌舞伎の芝居小屋に近い中央区新川に移設された。ところが、陽運寺が四谷左門町に移ってきてお岩さんを喧伝する。役者はどっちに祈願すればいいのか。新川が折れて四谷に帰れ(陽運寺だ)とした。
後世の者が揉めていたこの問題こそ、私は退けたいと思っている。

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<来年の宿題>
・フレーゲの高階関数
・ギルバート・ライル 「機械の中の幽霊」
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●見出し画像
歌川国芳が描いた東海道四谷怪談の表紙(画像はお借りしました)

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