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菅原道真について

はじめに

今日は左遷の日である。
前回のnoteは、菅原道真、カノッサの屈辱(それも1月25日)とを並べて書いていた。

今日は菅原道真公について、復習してみよう

菅原道真

菅原道真の生涯と作品を語るうえで、まず注目すべきは彼の845年から903年に至る人生の軌跡である。道真は幼少期より漢籍に親しみ、特に『文選』の深い素養を身につけ、「翰林学士菅原」の異名をとるほどの文才を発揮した。今日に伝わる『菅家文草』『菅家後集』からは、その非凡な漢詩文の力量を窺い知ることができる。

左遷前の道真の栄達は、まさに学問の力によって成し遂げられたものであった。文章博士としての評価は、単なる学識の深さだけではなく、実践的な政治能力をも示すものであった。特に宇多天皇からの信任は厚く、右大臣という高位に至るまでの道のりには、彼の漢詩文の才能が大きく寄与していた。漢詩の伝統における対句の技法を駆使した表現は、朝廷における文才の証としても高く評価された。例えば「春風駘蕩掃天衢、春雨霏霏濯地腴」という対句に見られるような技巧は、六朝詩の伝統を深く理解したうえでの創作であった。

しかし、藤原時平を中心とする有力貴族との政治的対立は、道真の運命を大きく変えることとなる。この政争は、中国古典に描かれる数々の政治的失脚の物語と重なり合う。特に屈原の『楚辞』との精神的な共鳴は、後の作品群に大きな影響を与えることとなった。

太宰府への左遷後、道真の文学は新たな深みを獲得する。この時期の作品群には、『楚辞』の影響が色濃く表れ、例えば「天上天下両無心、自然唯有故郷春」という句からは、屈原の「離騒」を想起させる望郷の念と、それを超越しようとする精神の葛藤が読み取れる。政治の中心から離れた場所での生活は、むしろ道真の文学的才能を深化させる契機となった。

東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

菅原道真

「東風吹かば」の和歌は、この時期における道真の心境を最も端的に表現した作品として知られる。この歌には、単なる望郷の念を超えた深い意味が込められている。この和歌における「梅」は、中国文学の伝統における高潔さの象徴としての意味を強く帯びており、「主なしとて春を忘るな」という表現には、陶淵明の「帰去来の辞」に通じる隠逸の思想との共鳴が感じられる。

左遷という経験は、道真の人生において重要な転換点となった。これは単なる政治的失脚ではなく、より深い文学的洞察を得るための契機となったのである。太宰府での生活は、政治の喧騒から離れ、自然と向き合う時間を与えた。この経験は、中国古典文学における隠逸の伝統とも重なり合い、新たな創作の源泉となった。

このように道真の漢詩は、左遷という体験を経て、より深い陰影と繊細な情緒を獲得していった。それは単なる悲嘆や怨望の表現を超えて、中国文学の伝統が培ってきた精神性との真摯な対話を通じた、新たな詩境の開拓であったと言える。特に「山処疑無地 空懐似有心」(山中にありて地なきかと疑い、空しく懐うて心あるが似し)という句に見られるような逆説的表現は、苦悩を超えた境地を示すものとして特筆に値する。道真は、中国古典の伝統を深く内在化しながら、そこに自らの体験に基づく新たな意味を付与することで、より普遍的な文学的価値を創出したのである。

菅原道真と牛

道真と牛の関係は、彼の生涯における象徴的な要素として特筆すべきである。道真の誕生年が丑年であったこと、太宰府への左遷の際に牛車で移動したという伝承、そして死後、遺体を運んだ牛車が動かなくなったという逸話など、牛は道真の生涯と深く結びついている。この関係は、忍耐や誠実といった牛の象徴的意味と道真の人物像が重なり合うことで、より深い意味を持つようになった。現代の天満宮において牛が神使とされているのは、こうした歴史的背景に基づいている。

道真の漢詩文は、六朝詩の伝統を深く理解したうえでの創作であり、特に対句の技法において卓越していた。例えば「寒声入夜後、暗色満庭中」という句は、白居易の「夜雪」を踏まえつつ、より繊細な感覚的表現へと昇華させている。「寒声」という聴覚的表現と「暗色」という視覚的表現を組み合わせた技法は、六朝詩の「声色」の伝統を継承しながら、独自の詩境を切り開いたものといえる。

また、道真の作品には仏教思想の影響も見られる。特に左遷後の作品群には、「無常」の観念が色濃く表れている。「浮世」という概念を詠み込んだ和歌や漢詩は、仏教的世界観と中国古典文学の融合を示す好例である。

道真の文学における自然描写の細やかさも特筆に値する。太宰府時代の作品には、四季の移ろいや風物の描写が多く見られるが、これらは単なる情景描写ではなく、作者の心境を象徴的に表現する手法として機能している。「落葉」や「寒月」といった素材は、政治的失意を暗示する表現として巧みに用いられている。

結論として、道真の人生と文学は、左遷という挫折を超えて、より深い精神性を獲得した例として評価できる。彼の作品は、中国古典文学の伝統を深く理解し、それを日本的な感性で昇華させた点で特筆に値する。漢詩と和歌という異なる言語体系を自在に使い分けながら、それぞれの特性を活かした表現を実現した点は、平安時代における和漢比較文学の到達点の一つとして高く評価できる。道真の文学的営為は、後世の日本文学における漢詩文の規範となっただけでなく、和歌における漢詩的表現の可能性をも示した点で、日本文学史上、極めて重要な位置を占めているのである。

あとがき

しばらく、今年から文章は短く伝えるという原則を忘れてしまっていたが、
もういいかもしれない、書きたければ筆にのせてかく、止まれば筆をおく。
ということにしよう。頭の中を出すことが書くことなのだから、無理にひねることはないということである。
 ところで、中島みゆきの歌に「おまえの家」というちょっとマイナーなナンバーがある。ギターで語るように歌と、語りかけるような歌詞が光る歌である。歌詞の意味は、音楽をやめてしまった友人に送る挽歌(バラード)といった感じだ。実話なのかもしれない。
 自分もなんだかんだいって文学を諦めてしまった人間の一人である。かつては私も自分の哲学を打ち立てるのだと息巻いていたが、日常のなかでだんだんと埋没していった。そして、別の分野での新たな発見があったりもした、そのナラティブラインを振り返る暇もないが、
諦めたことに後悔などない。人間の成長にはプライドを捨てることが必須であるからである。前回のnoteの宿題に”プライドの捨て方”などとあるが
なにかノウハウや、うまいやり方があるわけではない。頭をぶん殴られたような感覚と、まじか、だめなのか・・・という衝撃と焦りを感じてもがく、
このもがきのなかで自分を見つめ直す以外、道はないのである。
ちょっと筆が熱くなった。
次回は、カノッサの屈辱について書いてみようと思う

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