隣の"誰か"を想いUDフォントを選んでみる
大学の教職の授業で、先輩からもらったアドバイスをふと思い出した。
「クラスにいるディスレクシアの子に配慮して教材を作りなさい」
ディスレクシア?
当時の私は言葉の意味も知らない。
すぐにGoogle先生に聞いてみる。
検索:”ディスレクシアとは? 教育”
1クラス35人のクラスとして、2人から3人くらいってこと、、、
配慮と言われても何をすればよいのか?
調べたり、話を聞いたり、その中で1つの方法が見つかった。
「UDデジタル教科書体」
これは文字フォントの1つであり、ディスレクシアの人たちにも配慮された、判読を重視したフォントである。今ではWordやPowerPointなどでも使えるものだ。
他のフォントと比べて、読みやすく、優しいと感じるものだった。
よし、まずは使おう
生徒に渡る教材、投影資料の全てにUDデジタル教科書体を取り入れてみた。
1年後の秋、実習が始まる。
生徒に自分が作った教材を配布した時の緊張感は未だに覚えている。
自分の授業は生徒に伝わるのだろうか?
このUDデジタル教科書体が、どれほどの生徒たちのためになったかのか、私にはわからない。
ただ、少しでも誰かに役に立っていればと思った。
もちろん、全てUDフォントを使えば良いとは言わない。
UDフォントを使えば解決する課題とも思わない。表現にはTPOが大事だ。
この教育実習から半年後、私は一般企業に就職した。
教育現場とは離れたが、この学びは常に自分と共にありたい。
そんな思いから、普段から意識してUDフォントを使う。
彼らがどう見えているのか、私には見えない。
ただ、自分が少し意識したらできること。
もしかしたら誰かのためになること。
「UDフォントを選んでみる」
これが私の”誰かの”未来のためにできること