和田誠展ー知ってるようで知らなかった あれもそれもこれも
愛知県の刈谷市美術館で開催していた和田誠展に行ってきました。
この展覧会のサブタイトルは「知ってるようで知らなかった あれもそれもこれも」。学校の先生でもある和田さんのお仕事に関しては、一般的に知られていることよりは知っていたつもりですが、それにしても驚きました。
和田さん、イラストレーター以外にデザインやディレクション、絵本や映画監督をされていたのは知っていましたが、作曲までされていたのには驚き!
子どもの頃からとにかくたくさんの絵を描き、授業のノートには勉強については書かず、ひたすらクラスメイトや先生の似顔絵を描いていたそうです。先生の顔でつくった時間割は圧巻。
似顔絵を描き続けていったことが人に知れて、ボリュームのある仕事が来て、それが営業ツールとなってさらに仕事が来た、と和田さん。
「似顔絵」以外にも「映画」「演劇」「音楽」など、好きなことを純粋に広げていった結果、和田さんの膨大なお仕事につながっていきます。またそれを人並み以上にすべてこなせたことが、和田さんのすごさですよね。
2010年「和田誠の仕事」(たばこと塩の博物館)
展示会場はぐるっと部屋を取り囲むように作品が並び、室内にはたくさんの柱が設置されて和田さんの歴史を刻んでいました。
2010年、東京時代に行ったこの展示は今回とはまた違った切り口ですごくよかった。
このチラシでもわかるように、このときの展示は和田さんの「制作」にフォーカスしたもので、イラストレーター的にはすごく参考になりました。
スクール時代に聞いた話で一番驚いたのは、和田さんはある時期から作品に手で色を付けず、線画に色を指定して印刷所で色を入れていたという話。
印刷では色を4色(CMYK)であらわします。なのでイラスト(印刷物)の仕事ではカラーイラストを「4色」「4C」と呼びます。
その数値で色の割合を指定するるんですね。ちなみにCはシアン(青)、Mはマジェンタ(赤)、Yはイエロー(黄)、Kは黒。黒だけなぜか日本語なのが不思議ですが、和田さんも抵抗があったのか、BLと書いてらっしゃいます。
これの何がスゴイって、和田さんは数値で色を覚えておられたということですよね。こんなイラストレーターはほかにいるのでしょうか。和田さんがデザイナーでもあり、シンプルなイラストだからできたこと、なのかもしれません。どちらにしてもすごいことです。
この「色指定」は和田さんのものすごく偉大な特徴なのですが、今回の展示ではこの一枚のみ。もしかしたらこれが何かピンと来ない人もいたのではと感じます。
2,000枚の圧巻
和田さんの代名詞ともいえる仕事の一つが「週刊文春」の表紙です。線画のイメージの強い和田さんが「それまでとは違った手法で描こう」と決めて毎週描かれたもので、40年間、2,000号を担当しました。
壁1面を天井まで覆い尽くしても、たぶん全部ではないのでしょう。
かなり手が込んだ絵も多いです。
ポスターもすごい数を手掛けられています。
デザイナーでもあるので、ご自身のイラストだけでなく写真やほかのイラストレーター(横尾忠則さんや宇野亞喜良さんなど)と組んだものなど、紹介し切れるはずもない途方もない量の仕事をされていたんだなと、改めて思い至りました。
わたしが和田さんと同じ年まで仕事を続けられたとして、どれくらいの数の仕事ができるんだろう・・・83年の重みだけでなく、その量も質もとても追いつけそうになく途方に暮れます。
うまい絵ではなく、いい絵
和田さんはよくそうおっしゃっていたそうですが、講義のときにもそう伺った気がします。
和田さんの絵、失礼ですが、特別すごくうまくは見えません。でも、誰が見てもほっと和む魅力があります。こういう絵って描けそうで描けません。
和田さんの絵を見るにつけ、なんでこんなに「なんてことない、さりげない絵」がめちゃくちゃいいんだろう、とため息が出ます。
余談ながら、先日依頼のあったイラストに頭を抱えているわたし。複雑なイラストは描くのは嫌だけど(笑)、頑張って描けばそれなりに形になるし「映え」やすい。でも、シンプルなイラストほど「絵になりにくい」のです。う~む。しかしやるしかない。
描いて、描いて、描いて、そこから見つけていくしかないんだろうな、といまだに言ってます。でも和田さんも同時開催の宇野さんも、20~30代の頃には今のスタイルが完成しているんですよね!
和田さんといえば、その独特な書き文字も魅力的。
和田文字フォントをつくる話が出て、書き溜めておられたけど実現されなかったそうで、残念!ひらがな・カタカナとアルファベットだけでいいから、これからでも実現して欲しいものです。
好きが先か、才能が先か
和田さんは時代を切り開いたすごい方ですが、これは才能だけでなく、時代にも運にも恵まれなければできないことだと感じます。
でもやっぱり「好き」からはじまったのだなと思います。重要なことは、ただ「絵が好き」なだけではなく、ほかにも好きな世界をたくさん持っていたこと。映画や音楽について、のちに監督をしたりエッセイや評論を書けたりするほどの見識があったこと。
和田さんと同じ絵の技術があったとしても、絵しか描かないのでは、「イラストレーター」としては難しいです。イラストレーターは、一つのことからいくつもの発想やイメージが浮かぶような「想像力豊かな人」の方が適性があります。それにはさまざまなものに触れていることが必要です。
本も読まず映画も見ないイラストレーターには、和田さんほどの仕事は殺到しなかったと思います。インプットは大事。好きなことにのめり込む時間って無駄じゃないんですね。
同時開催「宇野亞喜良展」
最後の展示室では同時開催の「宇野亞喜良展」が開催中。宇野さんは名古屋市出身の地元イラストレーター。刈谷市美術館は宇野さんのイラストをかなりの数所蔵していて、よくセットで開催してくれるので、ファンとしてはうれしい。
宇野さんもスクールの先生でした。和田さんと宇野さんは仕事仲間でもあります。その最初のつながりは、興和新薬のカエルのキャラクター募集で一等を取ったこと。
そのご生涯にわたってお互いを認め合って一流として活動して来られたのは、本当に素晴らしいし憧れる。
ビアズリーの影響を受けていそうなデカダンスな雰囲気の宇野さんのイラスト。和田さんのイラストに憧れる一方で、わたしが本当に描きたかったのはこういう世界だったよなーと思う。
美術館の方が記念写真を撮ってくださいました。もう閉館時間過ぎてたのに「撮りましょうか」とお声がけくださって。なんてうれしい!
カメラマン・宮田の考える「才能とは」?
帰りは美しすぎる空でした。
そして戦利品。