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ペリー提督による日本開国の真の意味

鎖国をしていた日本にペリー提督が来航し、開国を迫り、江戸幕府の終わりをもたらしたことは、日本人ならば誰もが知る事実です。

しかしながら、日本では、その真の目的が誤解されています。

表面上、ペリー提督は日本に「第一に難破した船の乗組員を丁重に保護すること」を要求しています。これは絶対の条件として述べられました。

第二に「米国船に対する石炭や食料などの補給港を提供すること」を要求しました。これはもし達成できなければ、小笠原諸島や琉球諸島を占領して目的を達するつもりでいました。

ここまでは日本でもよく知られていることですが、ペリー提督の真の狙いは「最後の未開の文明国である日本を開国せしめ、それにより世界の歴史に永遠に名を残すこと」でした。これはペリー提督日本遠征記にしっかり記載されています。

世界には数多くの国がありますが、大航海時代を経て、地球上のほとんどの国や地域と国交を持ち、拠点を置くようになった西洋文明にとって、日本だけは唯一、謎に満ちた古代文明だったのです。

謎に満ちた秘密の古代文明、わくわくするような響きですが、西洋諸国からみれば、日本とは、そのような大冒険の対象であったのです。大航海時代が終わりを迎え、冒険家にとって最後に残った、歴史に名を遺す機会だったのですね。

とはいえ、西洋諸国は日本に関して全くの無知であったわけではなく、日本と国交のあったオランダを通じて、一定の知識を得ていました。

多くの書籍を出版し、絵画、工芸品、鉱物、金銀などを産出する日本は、貿易相手としても魅力的であり、さらには学術的探査の対象として極めて魅力的でした。

ペリーは何も知らずに力づくで開国させようとやってきたわけではなく、過去の日本と外国との外交史をすべて把握したうえで、日本を開国させるにはどうすればよいかの戦略をしっかり立てたうえで事に臨みました。

比類なき武力を誇示したうえで、日本側に合わせて非常に儀礼的に振舞い、丁寧だが、自分の主張は決して曲げない、という方法がうまく働きました。

日本も全くの無知の状態で黒船を迎えたわけではなく、オランダから事前の警告を得て、今回のペリー遠征は本気だぞ、と戦々恐々とした状態で黒船来航を迎えます。

江戸湾に来航することを知っていた江戸幕府は、優秀な通訳官や、砲兵隊などを江戸湾に準備させます。しかし蒸気船とそれに搭載された最新砲や、最新式の銃を持つ上陸部隊には到底かなうことはないだろうと、わかっていたわけです。

通訳官たちは、ペリーの黒船に乗り込むと、「これはパクサンズ砲ですな」などと指摘し、蒸気機関を冷静に分析して、ペリーを驚かさせます。その一方で、米艦の提供した酒には目が無く、酔っぱらって友好を深めます。

最初は日本を興味深く思いつつも、かなり侮っていた様子のあるペリーですが、日本に上陸してからは、日本の絵画や文化が一級品であることを見抜きます。

日本の書籍の多様性、その印刷技術の高さ、高価で美しい多色刷りの本や、安価な子供向けの本などに感嘆します。

最後には「人々を他国民との交流から孤立させている政府の排外政策が緩和すれば、他の国民の物質的進歩の成果を学ぼうとする好奇心、それを自らの用途に適用する心がまえによって、日本人はまもなく最も恵まれた国々の水準に達するだろう。ひとたび文明世界の過去および現代の知識を習得したならば、日本人は将来の機械技術上の成功をめざす競争において、強力な相手となるだろう。」(ペリー提督日本遠征記、M.C.ペリー、宮崎壽子監訳、角川ソフィア文庫)と、日本の将来の発展を鋭く見抜いています。

こういうことができたのは、ペリーが単に未開国を力づくで開国させようと考えていたのではなく、十分に下調べを行い、中国語やオランダ語に通じた博士などを連れていたからでした。

軍医のグリーン博士は、将棋に興味を持ち、ルールを聞きながら、数回ほど遊び、将棋のルールをしっかり見抜いてしまいます。二歩の禁止などもしっかり把握しています。それほど好奇心旺盛で、知的な人がペリー提督の遠征についていたということです。

日本人や東アジア人は、みずからを特殊だと規定し、ときに卑下したり、ときに自惚れたりします。しかし近代の普遍主義の目からみれば、あくまで東洋の半文明国という位置づけにすぎません。どこの国であっても、人間は人間であり、知性は知性であり、芸術は芸術である、ということです。

西洋国は、相手の能力が極めて低ければ、奴隷にして使役し、能力が高ければ、うまく貿易して、金を儲けようとする。相手が強ければ、互いに離間させて切り崩す。そのようなシンプルな発想で世界中を制覇してきたわけです。

中華文明圏では、儒教などの形而上学にこだわりすぎて、発展の好機を失いました。ただ、その高度に発達した形而上学によって、ナショナリズムを身に着けることができ、日本や中国は、最終的に国を植民地とすることを防げました。

いまでは東アジアは繁栄の絶頂に達し、その社会秩序や芸術は世界でも最高のものとなっています。その萌芽ともいえるものをペリー提督遠征記に記された幕末の日本から読み解くことができます。


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