24年目の、弱者の反撃
変わっていく事は強く、進化には必須の事でもあり、勇敢なことだと思う。
それと同時に、変わらないことは美しく、信頼に足ることに繋がり、勇敢なことだと思う。
その両方を兼ね備えたのが、結成24周年を迎えるBUMP OF CHICKENの現在の姿だ。
アルバム「RAY」や「butterfly」が発売された頃のこと。
盛んに言われたことが「BOCは変わってしまった」という言葉だった。
サウンド面、メディアへの露出の仕方、タイアップ、衣装に至るまでその頃のBOCは確かにそれまでとは変化があった。
音楽はEDM的な要素が含まれるようになったり、苦手だったテレビに出るようになったり、有名処のコラボレーションが格段に増えたり、私服だったライブ衣装がおそろいのジャケットになるなど、簡単に言えば華やかになったのだ。
それについては、一部では懐疑的な声もあったのは事実だ。
だが、彼らは活動を派手にしたかったつもりではないし、変わらず臆病な4人組が勇気をもって変化している様子だった。
当時の様々なインタビューやライブ中の発言から感じ取れたから、私はそれが「いい」とか「わるい」とか判断する前にその変化はわりと肯定的に感じていた。
当時、変化する戸惑いについて彼らの心情が垣間見えたのは、たとえば4年前に行われた20周年記念ライブでの藤原基央のMCに代表される。
「20年前から応援してくれた人にとっては、最近いきなりピコピコした音が登場したりテレビの前で演奏してたりしててどうしたんだと思う人もいると思うんです。でも分かってほしい。
長くバンドをやっていると、俺たちが得意な事だけしてたんじゃ許してくれない曲があって。ずっと音楽に育てられてきたから、音楽の足手まといになりたくなくてさ。俺らはできることをやらなくちゃいけなくて。」
彼らが変化を続けた理由は、そういう事だった。
シンプルに言えば、新しく生まれた音楽のために尽くした結果だった。
勿論、実際のところどう思っているのかなんて本人じゃない限りわかりっこないし、建前なんじゃないかと考える余地は一般論的にはあるんだけれども、私が長年しっているBUMPは、藤くんは、建前で適当なことを言ったりだとか、人に対して真摯に向き合わないっていう事がない人物だったから、私はこの言葉を真実だと思っている。
そのような理由で、活動を続ける中で新しく生まれてきた音楽に合わせて、彼らは冒頭のような変化を遂げてきた。
いや、今だってずっと変化の途中だと思う。
最新アルバム「aurora arc」では全14曲が多様性に富み、今までのアルバムに無いような新鮮な曲調があったり、決して歌わなかった「アイラブユー」なんてフレーズも含まれるようになったのだから。
いつだって冒険しているし、新しいことに挑戦している。
─変わっていく事は強く、進化には必須の事でもあり、勇敢なことだと思う。
一方で、彼らには決して変わらない部分がある。
音楽の「核」ともいえる部分、伝えたい想い、伝えたい相手、感じとれるメッセージ性だ。
他の人がどう感じるかはわからない。
だが、私にとっては、BUMPが歌詞に込めた想いは、音に委ねられた感情は、デビュー当時、いやその前から何もかわっちゃいないと感じている。
たとえば、若干15歳の藤原基央はこう歌った。
「僕らは君をベッドから引きずり出して手をつなぐため魔法をかけたへなちょこの四人組」
─BUMP OF CHICKENのテーマ
メジャーデビュー前、4人で輪になって作った自分たちのテーマで、たったの15歳でもう既に。
弱った人の、孤独な人の、這いあがれない人の側で歌いたい、という今の「バンプオブチキン」の中心となる精神性がこの時から既に生まれていたのだ。
そして、40歳を前にした藤原基央はこう歌った。
「太陽が忘れた路地裏に 心を殺した教室の窓に 逃げ込んだ毛布の内側に 全ての力で輝け 流れ星」
─流れ星の正体
ほら、ちっとも変っていない。
太陽が届かないところにいる人に、自分を隠した誰かに、まだベッドから出られない誰かのそばで魔法をかけている。
まるで、見ようとする人にしか見えない、流れ星のように。
悩める人の味方、なんて簡単な言葉ではちょっと陳腐だけれども、彼らが変わらず寄り添おうとしているのは光の当たらないところにいる誰かだ。
さらには、光の当たらないところにいる誰かに一生懸命光の当たる場所に行かせようとするというよりは、一緒に暗い中で寄り添って光を見つけだしてくれるようなイメージだ。
その温度感が私にはとても心地いい。
多くのBUMPリスナーもそう感じているのではないか、と思う。
さらに、音楽だけではなく彼ら自身だって変わってはいない面がある。
「へなちょこバンドのライブにいこう」
「へなちょこ仲間を集めていこう」
「へなちょこの四人組」
─BUMP OF CHICKENのテーマ
「涙の無い泣き顔にちゃんと気付けるよ今は」
─三ツ星カルテット
「ポケットに恐怖が宇宙と同じくらい それぞれ持ってる宇宙と同じくらい
同じ時に震えたら 強くなれた 弱くなれた」
─流れ星の正体
彼ら自身の"弱さ"のことも、24年の歴史の中でこうやって触れてきていた。
考えてもみれば、弱った人や孤独な人に音楽を届ける人自身が、強くて明るくて悩みもなかったら、果たしてここまでずっと人に届き続けていただろうか。
彼ら自身が弱さや涙や恐怖を熟知していて、尚且つ4人揃えばこんなにも心に響く形で表現できる人だったからこそ。
私たちに届くのではないだろうか。
彼ら自身の弱さとは、彼ら自身の結束力を強める要素でもあり、届けたい相手のと心を共鳴させる心の柔らかい部分、一番脆くて危うくて大事な部分でもある。
それを持っていることはいわば、彼らの強みであるとさえ思える。
そういえば彼らのバンド名の和訳、コンセプトは「弱者の反撃」だ。
名は体を表す、とはまさにこの事である。
反撃というのは物質的な攻撃という意味ではなく、精一杯運命に抵抗するような、弱くても立ち上がれるような、己自身の人生への反逆のような意味合いと感じている。
そのコンセプトは勿論彼ら自身でもあるし、彼らの音楽を聴いた自分自身にも成り得ると感じる。
要するに、24年以上前に名づけられたBUMP OF CHICKEN─弱者の反撃─は、今なお変わらずそのバンド名の通りの音楽を生み出し続け、今なお変わらず弱者のそばで音楽を鳴らし、一緒に運命に反撃し続けているのだ。
─変わらないことは美しく、信頼に足ることに繋がり、勇敢なことだと思う。
最後に。
昨年のライブで藤原基央はこんなことを言っていた。
「俺たちは物理的に君のそばにいることはできない、そんなウソは言えない。
けれども、音楽は一度君に出会ったらずっとそばにいることができる。
君がそう感じるか感じないかは君自身の気持ちによってだけれども、音楽はそばにいる。ずっと。」
彼らの音楽は、私たちベッドから出られない時も、毛布の内側に逃げ込んだ時も、もう音楽なんて聴く気にもならない、辛い、しんどい、もう起き上がれない、そんな時だって間違いなくそばにいる。感じようとすれば、変わらず、死ぬまで、ずっとそばにいる。
それは、この広い宇宙の中で、彼らが生んだ「音楽」にしかできない役目だ。
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