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発達障害に真剣に取り組んで離れた話#4

自分の得意だと思っていたことに疑問を持ち始め、どうしていいのかわからなくなり、ピリオドを打つことにしたお話です。

誰のための仕事だったんだろう

「困っていません」そういわれると、「これから困るかもしれないから」と返しながら話をしていたことが、一度疑問を持ってしまうと自信を持って話せなくなってきました。
この子のため?本当に??
まるで自分は占い師か、預言者か?このままでは困ることになりますよ!って、本当に???
と、自分の言葉に確信が持てない日々が訪れます。
人様の子をじろじろ見て、平均的な部分から外れたところを指摘して、失礼なことしてるよね?と思い始めました。
もちろん、今までも相手を傷つけたり悩ませたりしないように細心の注意を払ってやってきたので、クレームなどはなかったですし、善意の塊だと思って仕事をしていたので、急に自分にも仕事にもしらけてしまったのでした。

平均がいい?みんなと一緒がいい?

平均値から外れた子を見つけたり、特異的な行動をする子を見つけることは、誰にとっての正義なんでしょうか。
扱いやすい人間に仕上げたいという大人の都合でしかなかったと、のめり込んだ結果気づくことができました。
さらには、平均値を求める=平均であってほしい、平均以上であってほしいという親の気持ちに気づいたことも、ますます発達支援の仕事をつまらなくさせていきました。

この子の特性を理解してあげてください

「この子の特性を一緒に理解しましょう、認めてあげましょう」と言いながら、そこを伸ばして平均に持っていこうとする、これは大いなる矛盾です。
個性を発見したら、発見しただけでよかったのに、そこを伸ばすために療育に繋げ、一緒に伸ばすお手伝いをします。
こんなに矛盾したこと、おかしくない?という疑問は日に日に大きくなり、自信も持てなくなった私は、一度この仕事から離れようかな?と思い始めました。

線引きってむずかしい

発達にも果てしないグレーゾーンがあるように、私の心にも「良いこと」「役に立たないよくないこと」二つの気持ちがグラデーションのように積み重なり、すべて投げ出しやめる!とはなかなか思えませんでした。
しかし、大好きだった発達支援の仕事に疑問を持ったことや、最近の母子保健のあり方、子育て世代の要求の高さ、公務員として仕事することについてなど…山ほど疑問が積み重なってしまい、今年の3月に一度市役所を辞めることにしました。
もともとは子どもが大好きで、この仕事に就きながら保育士の免許も取るくらいのめり込んだ子ども相手の仕事。
一旦は距離を置きましたが、いつかまた前向きな気持ちで再開できたらたのしいだろうな、とも思っています。

まだまだ書き足りないことがたくさんありましたので、また違った側面のお話を書いていこうと思います。
お読みいただきありがとうございました。

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