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Page 2: War Impact 戦争の影響


先週末は、コンステレーションのファシリテータートレーニングに参加しました。2021年から続いたトレーニングの最終回。最後にふさわしく、他者のコンステレーションそして自分のコンステレーションのどちらもから学ぶことのできた貴重な時間でした。2010年代半ばから始めた、コンステレーションについて学ぶ道筋の大きな一区切りを迎えた、今はそんな面持ちでいます。

さて、Page 2として何を書こうかずっと考えていました。すぐに浮かんだのは、実は「戦争」のことでした。X(旧Twitter)では、『第三次世界大戦』というワードがトレンド入りする昨今。世界の注目は、瞬く間にロシア・ウクライナから、ガザへと移りましたね。戦争って誰にとっても重いテーマだと思うので、書くことを躊躇していましたが、どうやらわたし個人のテーマとして避けて通れず、ここから始めないと次へ行けないと感じるので、勇気を出して書いてみたいと思います。よかったらお付き合いください。

オーストラリアのインテンシブで体験したこと

2019年オーストラリアで参加したコンステレーション・インテンシブに参加しました。このプログラムは、世界中からコンステレーション関係者が集まり、1週間の開催期間中、様々なコンステレーターよって提供されるプログラムに選んで参加できるという画期的な会でした。そこで参加したとあるワークショップで体験したことを少し書きたいと思います。

インテンシブのプログラムとネームタグ。朝から夜までビッシリのプログラム構成でした。


ロシア人コンステレーターのプログラムが行われる会場には、ざっと50名以上の人が集まっていました。すでにクライアントとしてセッションする人も決まっていたようでした。クライアントは、治療方法のない身体症状に困っていて、そのことをテーマにしていました。

クライアントからのヒアリングを終えたコンステレーターは、

『今から二人の代理人を立てます。何を代理しているかは敢えて決めません。そこから何が起きるか見てみましょう。』

と言って、集まった人の中から二人の女性を選びました。選ばれたうちの一人がたまたまわたしでした。こんな風にして、敢えて代理人が何を・誰を代理するのかを決めずに進める場合もよくあります。英語では、bllind representitive (盲目の代理人)と呼ばれています。

部屋は参加者で埋め尽くされていた為、自分の座っていたところにそのまま立てばいいと言われました。10メートルほど離れたところに向き合う形でもう一人の選ばれた代理人が立ちました。わたしは、自分の場所に立ちつつ、特に何の感覚もやってこない。そんな時間がしばらく続きました。すると、もう一人の代理人の顔の様子が変化していきました。怖そうな表情を浮かべ、しかもわたしに近寄ってくるので、その雰囲気に怖さを感じていました。すると前触れもなく、

I killed you, Samurai!(サムライ、わたしはあなたを殺したんだ!)

とその代理人がわたしに向かって叫んだのです。そう叫ばれても、わたしにはピンときませんでした。「え?わたしってサムライの代理人だったの?」と思うくらい。ただただその代理人がこちらに向かってくることが怖かったのだけを覚えています。そのやりとりが起きるとすぐに、クライアント自身が話し始めました。

『自分の祖父は第二次世界大戦で日本人を数人殺した、と言っていました。』

その発言自体に、代理人ではないわたしが反応したことも覚えています。そこで、コンステレーターは、

『コンステレーションはこれ以上続けません。(クライアントに向かって)あなたは、このイシューを別の機会に時間をとってセッションをするのがいいでしょう。これで終わります。』

と言って、そのセッション自体はそこで終わったのでした。その後すぐ全く別のテーマにセッションは移っていきました。

あの時の、『I killed you, Samurai!』と叫ばれた時の衝撃は今も忘れられません。この会に参加していて一番印象に残った体験でした。

インテンシブのとあるワークショップの様子

Instagramのつづき・わたしの家族と戦争

何を隠そう、わたしの父方の祖父は戦死しています。帰国後、ふと気になって、祖父が向かった戦地にはどの国が他に関わっていたのだろうかと調べました。子どもの頃、祖父の亡くなった戦地は、インドネシア東部のチモール島だと教えられました。墓石にも「チモール島にて戦死」と彫られています。祖父が属した部隊は敵対した連合軍の中でも、どの国の軍隊と実際に戦っていたのか、、、

答えは、オーストラリア軍でした。
その事実に、クラっとしました。

考えてみれば、代理人を選んだコンステレーターはわたしが日本人であることも知らなかったと思います。そして、知る限りその会場に居た日本人はわたしだけでした。そんな偶然が起きてしまうのも、わたしはコンステレーションの場・フィールドの生み出す力だ、と今なら確信を持てます。

わたしがこれまで生きてきて日本以外に長い時間を過ごしたのは、実はオーストラリアなのです。10代の頃初めて縁があって訪れ、短大卒業後、4年間を過ごした場所です。第二の家族のような人たちもいます。娘のアメリカ留学に大反対だった両親がかろうじて妥協して許可したのも、このオーストラリアという土地でした。

更に言うと、このコンステレーションに足を踏み入れるきっかけとなったのは、『家族が戦争で死んでいる人』という文字をワークショップの案内に見たことでした。言い表しようのない胸のざわつきがあったからでした。
だから何?という話なのですが、この家の末代であるわたしにとって、会ったことのない祖父ー戦争ーオーストラリアという繋がりは、見えないけれど大きな影響を与えていることなのだと思います。そこにどんな意味があるのかは、わたしの一生でわかることなどないかもしれませんが、

父無しで育ったわたしの父の人生を肯定したい。

そんな思いが気づけばわたしの中に常にあったことと、大きく関係している気がします。父が生まれた時にはすでに祖父は戦地に赴いていました。
ここまでがわたしの体験したことです。

ちなみにですが、この父に対する思いは、のちに占星術で探求していくうちに、わたしの「太陽・土星合」と関連しているということが、よくわかります。そしてその太陽・土星に火星がスクエアであることも。

戦争という出来事の個人への影響

オーストラリアでの体験のように、こんな風にコンステレーションでは、戦争や紛争という集合的なテーマが個人のコンステレーションから浮彫になることがあります。日本に最初にコンステレーションをもたらしてくださった方の一人であろう、小林真美さんの著書の中にこのような記述があります。

国に起きた問題は、多くの家族システムの中での問題の元となっています。どこの国でもこのような心理療法のトレーニングを行うと、症例の多くはほぼ空襲などの大量虐殺という出来事に繋がります。だから、家族システムの中では、過去に起きた社会的な現象が現在の私たちに大きな影響を与えていると言えるのです。

コンステレーションが教えてくれること 小林真美著  2019


世界中の人すべてが、その家族システムの上の世代への遡ると、必ず戦争に辿り着きますよね。

そして、わたしの夫は中東・シリアの出身です。内戦前から国外で暮らしている人ではありますが、彼や彼の家族が長年経験している内戦の直接的影響は、わたしの想像を遥かに超えていました。ここにも色濃く『戦争』の影響があります。そして、最近のわたしたち夫婦の会話の中には、常に、ガザで起きていることが含まれています。
 
コンステレーションの視点で歴史を見てみると、現在のガザに起きていることは、2つの国の関係がもつれる要素しか見当たりません。わたしは咄嗟に気になって、コンステレーションの生みの親・ヘリンガー氏がこの問題に言及している読み物を探し出し、簡単に見つかりました。購読しているコンステレーションジャーナルの過去の特集記事に、『パレスチナの和解』というタイトルで、ヘリンガーの見解が紹介されていました。2008年にヘリンガーが語ったことですが、今読んでも何ら違和感がありません。状況は何も変わっていないということがよくわかりました。

さて、その記事をじっくり読んでみると、そこで語られていることは、国家間だけに限らず、すべての人間関係に作用していることなのだと思います。コンステレーションの視点は、現代社会で「常識」とされていることを覆すことが多々あります。恐らくここで語られていることも、その一つだと思います。でも、よくよく考えてみると納得できることなのではないか、と思ってしまうのは、わたしがすっかりコンステレーション視点で生きているからかもしれないのですが、、、。

「火のないところに煙はたたない」

そんなことすら思い浮かびます。では一体人間は、共生する中でどんな「火種」を過去から現在まで作り続けているのでしょう。

Page 2 は、そんなことを考えさせられた、ヘリンガー氏の記事の一節を紹介して締めたいと思います。

重々しいテーマを選んでしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました!質問やコメントなどいただけたら嬉しいです!

パレスチナでの和解 バート・ヘリンガー より引用
(訳:持田直子)

民族間の平和の問題は、個人に左右されるものではない。他の力が働いているのだ。宗教的な信念だ。それが実際に紛争を引き起こしている。平和を可能にする理解に到達するためには、今も多くの形で機能し続けている宗教や宗教的信念に立ち返る必要がある。

わたしは、文化や家族そして国家で機能しているいくつかの法則を発見した。そのひとつが、優先順位の法則である。

つまり、最初に来た者が一番になる。二番目に来た者は二番目になる。二番手にいる者が一番手になりたがれば、争いは避けられないのだ。

原文
The question of peace between peoples does not depend on the individual. There are other forces at work. There are beliefs at work, religious beliefs. They actually kindle the conflicts. In order to reach an understanding where peace may be possible we have to go back to religion and religious beliefs and we have to go back to the history that still works on in many ways.

I have discovered some laws operating in cultures and in families and in nations. One oft hem is a law of priority.

That means: those who came first take first place. Those whoc ame second take second place. Whenever somebody who is in second place wants to take first place, conflict is unavoidable.

From 'Reconciliation in Palestine' in The Knowing Field, Issue 13 in 2009

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