「東京美術市場史」編纂作業❶
もう40 年ほど前のことになる。勤めていた出版社を辞めて知人と編集プロダクションを始めたものの編集の経験はともかくとして、営業面での経験に欠ける面もあってか、あまりパッとした仕事に巡り合うことがなかった。
そんな時に前の出版社で編集担当をしたことのある美術評論家S氏から連絡が入った。今進行中の仕事を手伝って欲しいので一度来てくれないかと言う。
指定された場所は、港区新橋6町目の東京美術倶楽部の古い大きな日本風外観の建て者で、通りを挟んだ目の先には芝の赤十字本社が見られた。
車寄せのある玄関に入り、スリッパに履き替えてそのまま進んで行くと、奥のどん詰まりに古びた日本間があり、"東美研究所"の事務所兼作業場であって「東京美術市場史」という本を、2年後の美術倶楽部開設70周年記念に向けて編纂中とのことであった。
この東美研究所は「東京美術市場史」刊行のためだけに作られたもので、所長として編纂作業を任されたのが美術評論家のS氏である。作業が始まると共に煩雑な作業の助っ人を求めて、私のところに連絡を寄越したのである。
勤務時間や報酬額に特段の不満もなく、差し当たって急ぐ仕事がない身であったので、私は友人との話し合いの結果プロダクションを抜け、以後東美研究所の一員として2年余り休日を除き毎日ここに通う身となった。
東京美術倶楽部(略して"東美")は、明治40年4月に東京の書画骨董を扱う業者を中心に株式会社として創立された。この際に発行株の40%強を著名な古美術蒐集家の1人初代根津嘉一郎がを引き受けるなどの尽力をしている。
初めは両国橋畔にあったが、関東大震災罹災後の昭和5年に現在地の新橋6-19-15に新たに建物を建築した。幸い建て物は第2次大戦によっても罹災することなく私が通ったのはここであった。
美術品の取引市場として創設された東京美術倶楽部は大正〜昭和にかけて多くの売立て会が開催され、数十万という膨大な数の美術品が取り引きされて来た。
売立て会の競(せ)り、今で言うオークションに参加して入札できるのは美術倶楽部会員の業者だけである。事前の内覧会や図録を見て欲しい美術品を落札したい者は、購入可能な金額を提示して業者に入札を依頼する。
金主の代理人として競りに参加した業者は落札すると、その価格の何パーセントかが懐に入るので自己の資金はなくとも、落札さえ出来れば商売を続けられることになる。
この東京美術倶楽部には数多くの入札(売立て)会図録が震災や戦火を免れて保存されてきた。建て物の一画に設立された"東美研究所"の仕事は、美術倶楽部に保存されている売り立て会図録の中で落札価格が記されている物の全てについて、その名称、作家、価格等々をカードに記載して、コンピュータの入力データ原稿を作ることである。
現在なら、わざわざカードに転記せずに直接読み込みで済ませられると思うが、半世紀近く前のコンピュータは性能もたいしたことはなく、いちいちカードに記載したものを印刷会社のコンピュータに読み込ませたのである。
作業は20代から30代前半までの女性4人がこなし、他に経理担当の50代の女性。男性は所長S氏と新たに加わった私の2人だけであった。新参者の私は女性たちよりやや年長ではあったものの、カードへの記載は彼女たちに教えてもらいながらの作業となった。
過去の売り立て会で価格が記載されている美術工芸品は20万余に上る。これらを、絵画、書、茶道具、陶磁器、彫刻、漆器、古玩文房具、服飾、武具、刀剣、室内装飾等々に分類し、その事項を一つ一つカードに書き込む作業は膨大な時間と労力を要する仕事であった。