恩田侑布子『余白の祭』ーBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞余話
フランスパリの著名な文学カフェとして知られるドゥマゴは1933年にアカデミックなゴンクール賞に対抗してドゥマゴ文学賞を創設したが、日本でも1990年に渋谷文化村ドゥマゴがフランスドゥマゴ賞の精神を受け継いでBunkamuraドゥマゴ文学賞を創設した。
この賞は毎年交代する選考委員1人により授賞者を選定していて、2003年の第23回Bunkamuraドゥマゴ文学賞では静岡在住の俳人恩田侑布子氏の評論集『余白の祭』が受賞した。
ところでBunkamuraドゥマゴ文学賞の受賞者は、その年のパリドゥマゴ賞授賞式に出席出来るオプションが与えられる。出席を希望した恩田氏は、その式で配る「Trente haïkus de Yuko ONDA 恩田侑布子三十句」という小冊子を制作し、掲載する句の墨書を静岡市清水区在住の金泥書家福島久幸氏に依頼したのである。
この制作に携わった人々の努力で冊子は2014年1月に出来上がり、4月13日には記念の会が恩田侑布子、福島久幸両氏はじめ何人かの関係者を集めて清水市民活動センターで行われた。私と妻は事の成り行きについてはつゆ知らず、その会に参加したのである。
その次第は次のような経緯による。この日いつもように遅い朝食を済ませた時、不意に家の電話が鳴った。受け取った受話器から流れ出たのは女性の声で「もしもしYさん、Mですが。私いま清水駅にいるのよ」。声は東京での妻の年長の友人からであった。
「エッ?Mさん!今 、、、清水、、、⁈」不意を突かれて少々狼狽気味の妻の言葉に被さるように「実は今日清水の市民活動センターで金泥書家の福島先生を交えた集まりがあるの。何かドゥマゴ賞を受賞した人に関係しているらしいのだけれど、フランスなら貴方も(妻は仏文科出)少しは関係あるでしょう? 出ていらっしゃいよ!」
彼女の有無を言わせぬ口調に気圧され、またドゥマゴ賞との言葉によって、前後よく分からないまま慌てて着替えを済ませてタクシーを呼び、彼女が待つ清水駅に、、、そこから3人で会場へと向かったのである。
勉強家であり植物好きのMさんは、宇田川榕庵の「ボタニカ経」について調べていく中で清水の金泥書家福島氏と知り会ったと言う。懇意になってからは何回か清水に通っていたとの事だが、妻はその時まで何も知らされていなかった。
かくして地元の清水で開催される静岡人の集会に東京の知人により引っ張り出されるという奇妙な成り行きで、私と妻はその集会に参加することになったのである。またその時まで恩田由侑布子氏は私たちにとっては未知の人であった。
会場の市民活動センターに着いた時には内輪の集まりといった感じで10人ほどの人が開会を待っていた。私にはかなり高齢の金泥書家福島氏と思われる人以外は誰かれの見当がつかなかったが、妻はすぐ恩田氏を認識したと言う。会が始まる前にMさんは彼女の旧知のO氏(恩田氏と福島氏の橋渡しを務めた静岡人)を、この日の会の世話人と紹介してくれた。
O氏の司会により恩田侑布子氏が挨拶に立ち、ドゥマゴ文学賞受賞により今までの長い苦労がやっと報われたという思い、さらに今回の受賞を今後の活動の足掛かりとしたいとの力強い言葉が述べられた。この時の恩田氏の自信に満ちた態度と高揚感には、これを機に文学で生きて行こうという思いのたけが感じられた。もっとも東京人のMさんは意気軒昂たる恩田氏の態度に多少閉口したものか、後日の便りにはやや戸惑い気味の感想がしたためられていたのだが、、、
会は進み、金泥書家の福島氏に冊子の句を金泥で書写する依頼をした経緯など、O氏始め集まった関係者の方々の話もあって閉会となった。参加した私たちには「恩田侑布子三十句」(仏語訳も載っている)の冊子が配られたが、恩田氏は受賞本の『余白の祭』も何冊か持参してきていたので、Mさんと私たちは本を購入した。
希望があれば自作の句を自書するとの恩田氏の言葉で妻は「三十句」の中から
吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜
を選び、句とサインを書いてもらった。
散会後に会場を出た我々は、折よく清水港に入港していた豪華客船ミレニアム号の側までMさんを案内し、その後海上バスに乗船して海路で清水魚港に着いた。清水駅からはJR東海道線で静岡駅に向かい、妻にとっては久しぶりのMさんとの食事を終えて新幹線乗り場で彼女と別れた。かくしてこの日の我々の慌しい役目?を終えたのであった。
2週間後にMさんから清水滞在中の感謝の手紙と共に会の終了時に写した記念の集合写真が届いた。おそらくO氏から彼女を経由して我々の所に回ってきたものと思われる。
あの時から10年余が経つ今日手元にある参加者の集合写真を眺めながらその後のことを思った。この10年余の間に金泥書家の福島氏は亡くなり、恩田侑布子氏は2017年に句集「夢洗ひ」で第67回芸術選奨文部科学大臣賞並びに現代俳句協会賞を受賞するなどの成果を上げられて、現在も第一線で精力的に活躍を続けていられる。
私はあの時の「この受賞を今後の活動の足掛かりにしたい、、、」と述べられた恩田侑布子氏の意気軒昂たる様を思い浮かべ、まさにその言葉を裏切らない活躍、、、との感を深くしたのである。
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