ターシャのこと(3)
母ターシャに胃癌が見つかったのは今から10年位前のことだった。
子供の頃はバレーボールをしていたこともあったが、ターシャは大人になってからスポーツは全くやらず、元来の骨太な骨格にお肉がついていて、常にふっくらしていた。昭和の女優京塚昌子のような肝っ玉かあさん体型。あんこが大好き。食べ物を粗末にしてはいけないと言われて育ったので、食事は体調が悪くなければ残さず食べる人だった。筋肉質で痩せ型のセバスチャンと、ふっくらした母のコンビ。私にとってそれが長年両親に持っていたイメージだった。ちっともやせないわねぇ、と言いながらも、おそらく本人は別に痩せたいと真剣に思っていたわけではなさそうだったし、長いこと体重に変動があるわけでもなかった。元気になって出かけたり、おいしいものを食べられるようになったし、毎年健康診断もしていて何も起こらなかったのでターシャも自分の体を心配することはなかったように思う。
何だか食べ物がつっかえながら降りてく感じがするの、とかかりつけ医に行ってそれは見つかった。ポリープかと思ったそれは初期の胃癌だった。
初期に気がついてよかったね、今はオペすれば大丈夫だって。と私が説明すると、ターシャも楽観的だった。実際は癌は結構食い込んでいたので、胃は全摘になった。
入院中はセバスチャンはほぼ毎日自転車でターシャの面会に行き、洗濯物を持ち帰り、洗って干して畳んで持っていった。ターシャのいない家は既に昼間誰もいなくて、セバスチャンも淋しかったに違いない。せっせと洗濯をし、掃除をし、ターシャのところに行くことで心の均衡を保っていたのだと思う。
晴れて退院したターシャは以前のようには食べられなくなった。少しずつ小分けに食事をするように言われて、そのようにはしていたが、気持ちが食べたくてもつい口に入れると苦しくなってしまう。お行儀悪いけど、少し食べたら少し休まないとダメなのよ。とターシャはそれに慣れるのに時間がかかった。思うように食べられずに体重は、15kgくらい一気に落ちた。LサイズはMサイズでもぶかぶかになり、常にご懐妊?というようだったお腹はぺたんこになった。あのまるくふっくらとした背中は薄く骨張ってしまった。一気に痩せたのでハリのある肌はシワシワになり、だいぶ老けて見えるようになった。ターシャの退院後もセバスチャンはターシャの体を気遣い、そのまま洗濯担当になった。おじいちゃん(孫ができてからお互いをおじいちゃん、おばあちゃんと呼び合うようになっていた)がやるとね、時々袖が片方裏返ったまま干してあったりね、几帳面だけどそういうとこはダメなのよ。でもね、一所懸命やってくれてるからいいの。あーだこーだ言うと臍曲げちゃうかもしれないし。ターシャはセバスチャンの性格を1番よくわかっていた。お互いがお互いを思いやり、わかり合ってるからこその仲良し夫婦なのだ。流石だった。
オペ後激痩せしてしまったターシャも少しずつ元気になり、もうすでに大きくなっていた同居の姪たちの世話もやきながらあいかわらずの日常を送っていた。この頃目がなかなか利かなくなって、縫い物の時間はだいぶ減り、手近な繕い物くらいしかしなくなっていた。こっそり和菓子を食べていたのも、胃をとってからはさほど食べられなくなった。友人たちも年齢と共に次々と体のあちこちが利かなくなってきたせいで、旅行に出かけることもなくなった。それでも夫婦一緒に、いるだけで、日常の些細なことで笑ったりして、それなりに穏やかでいい時間だったのだと思う。
翌年、私が実家に電話をした時にセバスチャンの声がやけにかすれていた。
風邪ひいたのかと思ってかかりつけ医に行ったセバスチャンは検査をすることになった。
お父さん、肺に癌が見つかったらしい。お医者さんから説明があるから一緒に聞きにいってくれないか。
兄から連絡をもらって、私はセバスチャンと一緒に担当医から説明を聞くことになった。