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映画日記『ソウルメイト』

キム・ダミが好きなので観た『ソウルメイト』。勝手に青春きらきら映画を予想していたら、裏切られた。幼い頃共に過ごした親友との運命的な引き合わせによる再会か、もしくは会えなくなってもなおあの頃の記憶やあなたの存在によって生きていけるよという意味での魂のつながりか、などと予想していた自分が浅はかだったと思ってしまうほどに。タイトルや予告からこんな感じかな、と予想してしまうのは私の癖だけど、裏切ってくれる作品が好きだ。

フィクションだけど、映像はものすごく美しいのだけど、美化されていない。作品を、というより、ミソとハウンの人生を観た。

このシーンで、とかじゃなく、ずっとぽろぽろ涙が出てきた。悲しいのかなんなのかわからないのに勝手に出てきた。既視感からか、思い出したからか、自分を投影したからか。ぽろぽろ真顔で泣いていた。

大切にするということは一緒にいることだけじゃない。大切だから離れる。傷つけてしまうから距離を置く。相手が思っている私でいたいから見栄を張る。
月日の流れによってふたりを取り巻く環境が変わり、人間関係も変わり、それによってふたりの感情も複雑に交錯していく。子どもの頃は「好き」で「ずっと一緒にいたい」だけだったはずの感情に、「憧れ」や「憎い」などが混ざり合って複雑になっていく。それでも、心の底から大切で、愛していることは変わらない。だからこそ強い感情が湧いてくる。
あなたを1番愛しているのは私だと、そうミソに伝えるハウンは怒っていたし泣いていた。

友達とか、家族とか、恋人とか、そんな既存の名前のついた関係性に当てはまらない、けれどふたりの関係を言葉にするとしたらまさにそれは「ソウルメイト」だ。

無駄な台詞は全くなくて、言葉より表情や風景から、視覚でいろいろなものを感じられた。スクリーンで観て良かったと思った。
"後ろ姿が見慣れない。ずっと隣にいたから。"
楽しい時間ばかりだったふたりが初めて感じた“寂しさ“を表したシーン。なんて澄んだ表現だろうと思った。

いろんな感情がぶわーっとなったので、それを言葉にしようとしても全くまとまらないけれど、まとめようとするならば、だれかを大切に想う、ということの本質を問う作品だと感じる。いや、大切に想うその方法は人によって違うのだけど。だからこそそこを問われた気がする。一緒にいること、つらいときにそばにいること、というよりもっと行動を超越して、心でずっと想うということがどういうことなのか、ひたすらにぶつけられた2時間だった。ふたりの人生を観たけれど、それは永遠にふたりだけのものだ。

でもそれだけではなくて、いろいろなことを語りかけてくれる作品だった。
あなたはあなたの好きな生き方をしていいんだよ。誰かに気持ちをまっすぐに伝えていいんだよ。価値観は変わっていくもので、人の気持ちは移りゆくものだということに救われることもある。でも変わらないものもきっとあって、それが勇気をくれることもある。それでいいんだよ。

ミソとハウンみたいなソウルメイトに出逢うのはなかなか稀なことだし、そこまでつながってしまった先にはとんでもない苦しさがあるんじゃないかとも思う。だからふたりが羨ましいかと言われると、それはちょっと違うかもしれない。それでも、友達とか、恋人とか、名前のある関係だけじゃなくて、関係性にかかわらず、誰かと心が通じ合える時間は人生の宝だと思う。人との出逢いやつながりは、必ず意味のあるものだと思う。

ひとり映画は苦手だったけれど、そんなことも思わないくらいに引き込まれたおかげで克服した気がする。でも誰か観た人がいたら、どう思ったか聞いてみたいな。


ぴろ

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