サディスティックいけばな
「ののはな通信、ここで少し読んでから、買いに行きました」
と、お客さんから言われて、わぁ、となった。
ののはな通信、どんな話だっけ?
頭の中では、女生徒のはなし、太宰治の「女生徒」と混線してしまっていて、何か昔からボクの脳味噌は不便、いろんな作品が混ざってしまうことがあって、しばらくもごもごしてしまった。
そのお客さんが帰ったあとに、本を取り出した瞬間に、「ああ!」と思い出した。
可愛らしいタイトル、可愛らしい装丁、のわりにはなかなかえげつない小説。
小説、というか二人の女の子の往復書簡形式でおはなしが進んでいくめずらしい物語。
読者は、特に男性のボクからは、思春期の不安定な女の子のお手紙のやりとりを覗き見することになる、「いいのかな?」という小説。(第一章はね)
なぜに女生徒と勘違い混線しちゃったのだろう?
覗き見、みたいな感覚で読むのが似てるからだろうか。
そのお客さんとは、内容について特にお話しはしなかったのだけど、正解。
男性は覗き見、女性は物語に入り込める小説だから、感じることがぜんぜん違いそう。
女性には怒られそうだが、ボクの中では第一章で完結でOK。
第二章は大学生編、第三章は中年女性編、で完結なんだけど、たぶん女性の読者は全編を通じて完結なんだろうな、たぶん。
秘密の花園の中での、みずみずしい不安定な精神での耽美な手紙のやりとりに身悶えしてしまうのです。
この小説を読むと、いけばなをしてた頃を強烈に思い出す。
ずいぶんと昔になるけど、師範も女性、生徒さんも女性ばかりのいけばな教室に通ってた時期があって、まあ、女の園に入り込んでたわけで。
もちろん、ちゃんといけばなをしようと思って通ってたわけだから、わりと真面目にいけばなをしてて、最初は形にするのが精一杯で周りなど見えてなかったけど、ある時期、余裕が出てきたのか、周りも見えるようになって、その時初めて女性の残酷さ、なんだろう、権利、みたいなのをまじまじと見てしまって、来てはいけないところに来てしまったことに気づいて、「ボクは男!」と思った。
花の茎にワイヤーを通して、折れないようにするみたいな技、技なのかな? まあ、そういうこともすることもあって、そもそも長さをちょうどよいようにはさみで切る、チョキチョキ切る。
形にするのに必死だった初期は、それらの行為は過程に過ぎなかったけど、客観視できる目が開いた時、あまりにも残酷なことをしている、息も絶え絶えの血だらけの少女に死化粧を施している感覚になったのを今でも覚えている。
そして、楽しそうにワイヤーを通したり、剣山に茎を刺したり、はさみで切ったりしてる女性たちを見て、本当に楽しそうだなあ、生命を生み出せる女性だから許されるんだ、権利なんだ、と思ってしまった。
花の命は短い。だから、美しく生けてあげましょう。
死にかけの少女に死化粧を施す行為に気持ち悪さを覚えて辞めた、というわけではなくて、それらの行為にサディスティックな興奮を覚えたから辞めた。
いろいろ気持ちを抑えて頑張って師範の資格まで取ってたら、「サディスティックいけばな」とかの流派を開いていたかも知れない。
その前に破門されるか、教室開いての生徒が集まらなくてつぶれると思うけど。
開業したのが、ぴらにやカフェでよかったよ。