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「今年やりたいこと100」を作って決めたこと

みなさま、あけましておめでとうございます。
ぼちぼち、思いを吐露してた2024年。

はやかったような、長かったような…
この年末年始は、人と過ごす予定が、直前にキャンセルとなり
結局ほぼひとりで過ごすことになった。

久々に自分の心底嫌な部分に向き合ったり、
人を愛することとは、とか自分の生きる価値とは、とか
どうしようもない孤独といっしょにすごした年末年始だった。

でもきっとこういうひとりで過ごす空間とか
痛みといきている感覚とか
自分への弔い、みたいな時間は
いまのわたしにとって必要な時間なんだと思う。

ひとしきり落ち込んだあと、少しずつ新しい1年に向かって
歩みだそうとしてる。

自分のためにおいしいごはんを作ったり、
家と職場の断捨離をしまくったり、
ちょっとずつだが、元気がでてきた。

***

そして、今日
思いつきで参加したオンラインのワークショップで、
「今年やりたいこと100 のリスト」を作った。

約3時間のワークショップ…(なげぇ)
とりあえず、やりたいことを羅列していく。

主催者曰く、かなうかどうかわからないものも含めていい
とのことだったが
わたしはよっぽど現実脳なのか、
見返してみるとかなり地に足のついたものが多かった。

ちょっと悪口っぽくなるが、正直ワーク自体は浅いもので
やりたいことを羅列したら自分の「好き」「得意」が見えてくる!
みたいな主旨だった。

そんなものは、わたしはもうどうでもよくて…
話半分に主催者のMCを聞きながら
自分なりに気づいたことをメモしてみた

そうかそうか…
うまく言語化できないけど
そういえば今日、職場の断捨離しながら聞いていたラジオで
サカナクションの山口さんが言ってたなぁ。



「人と違う経験をしたことはすごいこと」
「孤独じゃなくて、孤高」

そうかぁ。そうなのかぁ。

うまく言えないけれど、このさみしさを味わいきっている私も
なかなか勇気があって、頑張っているなぁと思う。

手を伸ばせば和らぐものもあるけど
なんだか今はそれに甘えたり、頼ったりしたくなくて。

痛いけど、ひとかわも、ふたかわも
めくれて、そのたびに痛くて
少しずつ、かさぶたがはがれて
ちょっとだけ、強くなってる。

オットがいくなってからの2年間は
なんだかそんな2年間だと思った。


ふと気づいたら、36歳が1/3ちかく終わろうとしてる。
オットが、わたしと結婚した年だ。

このやりたいこと100のリストを作りながら考えた。
私はたぶん、来年も自分が健康だと思っている。
仕事があって、お金があって、家族や友達がいて。
たぶんやりたいことも、その気になったらできて。

それって本当なのかな。
オットだって、そう思っていたかな。

以前、オットが転院を検討したときに、
「オットの体がもうダメなことは、オットさんが一番知っているはず」
と初めて会ったDrに言われたことがある。
それが本当であれば、オットはいつからそんなことを思っていたんだろうか。

35歳、出会ってすぐ病気が分かったとき?
36歳、結婚して、ケガが増えたとき?
37歳、入退院を繰り返した時?
38歳、ほとんど入院で家に帰れなかったとき?
39歳、車いすになったとき?
40歳、寝たきりでもう喋れなかったとき?

それを思うと、今でも涙がでる。
最後まで、オットは、がんばる、と言ってくれた。
それは、さみしいさみしい私がもらった
一生分の愛だったと思う。

もし、私がオットと同じ40歳でもうこの世からいなくなるとしたら
この100のリストは、まったく違うものだろうなぁ、と。
それが一番、感じたことだった。

あと4年。
あと4年で、わたしは
人生でやりきりたいことを、思いっきりやってみようと思う。

オットの人生を背負うわけでなく。
自分の人生として、やりきってみたい。

40歳のわたしが
40歳のオットに、なにを伝えるだろうか。
胸を張って、会えるだろうか。

こんな風に今日思えたことも
1日1日の積み重ねのおかげかもしれない。
そう思うと、痛みも、執着も、後悔も、
少しずつ手放していけそう。

ひとり孤独に過ごす年始に
それに気づけて、ほんとうによかった。

読んでくれて、ありがとう。

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