言語化思考主義者のヤマアラシ。【感想】
面白いYouTuberを見付けた。
思考する時テキスト化と言う言語化思考かビジュアル化と言う視覚化思考かを論じている言語化思考主義者における動画。3本立てを2回観た。
その前に私的見解。
論点は思考(クオリア)の表現方法の話と認識した。なので思考の表現化が言語/視覚の2択だとしたら、自分は言語派だと言える。
クオリアの共有は不可能であり、思考をプロセスではなく表現するという意味合いで動画展開してるなら共感はできる。
だがどうにも思考(クオリア)と表現方法を分離で認識してる自分には、思考=表現と扱いが合わさってしまっているようなところが納得できず
頭抱えた。
私的に言語化/視覚化へのアプローチが2人と違うのだと思われる。クオリアの認識が違うのかも。わからないから考え、アンサーを出したのが上記したものになり困惑。うむん。だから書いてみることにしたのが、今回のnoteです。
※クオリア=感覚的な意識や経験。意識的・主観的。
自分はおそらく言語化と視覚化で言ったら、言語化派だと思う。思考に限らず他者に何か伝える際の手段は、言語化した方が得意な方。文章や言葉で伝える方が伝わりやすい。絵心が無いらしいので。そこで疑問。
思考とは原因から結果/結論までの過程(プロセス)という認識なのだが、どうにも動画内容というか動画で紹介されている本の内容やMC2人と自己認識に乖離を感じる。
思考への導入部である原因/キッカケは色々あり、それは文章・絵・音楽と様々なわけだが、そこは丸っと無視して良いのだろうか?
そして結果/結論を誰かに伝える手法のことを動画内では言語化思考・視覚化思考と指していたように感じた。クオリアの共有は出来ないとしながら。
思考への認識が違って新鮮。紹介されてる本を未読なので断言できないが、動画視聴した結果そう思った。なので自分なら視覚化/言語化をどう解説するのか?と思考し表現してみた。よかったらお付き合いください。
思考と言う原因から結論までのプロセスは言語化/視覚化論で言うと4パターン化あるはず。
【原因】言語(テキスト)【結果】視覚(絵)
【原因】言語(テキスト)【結果】言語(テキスト)
【原因】視覚(絵)【結果】言語(テキスト)
【原因】視覚(絵)【結果】視覚(絵)
例えば美術館へモナリザを見に行った感想文を書きましょうという課題があるとする。絵で導入して思考過程を経て、文章化するという作業をしなければならない。
この場合は絵画モナリザへ抱いた感想部分が思考と呼ぶ箇所になるが、この感想/思考は感覚と呼ばれる部分(クオリア)なので視覚化/言語化と分けようがないと思う。何故なら他者から見れない部分だから。体験として共有できない困難な領域。表象/イメージと言う感覚の他者から見えない部分を視覚化/言語化と判別するには些か無理があると思うのだ。他者が確認しようがない。如何せん精神活動だから。
例えば誰かを愛おしいと感じた。愛おしいという感覚を抱いた。
それを写真や絵で表現するのか手紙にするのか、音楽で表現するのか。
他者である外部はその表現されたものを言語化/視覚化だと判別することは出来るが、それらを思考過程を経た結果/結論と認識するしかないし、愛おしいと感じた思考の可視化が出来るとしたら、現在の技術では数値化のみだと思う。または思考後の表現されたものから感じ取るしかない。
興奮している時は前頭葉のこの部分が活動的で、悲しい時はその活動がこの数値。その膨大なデータ比較は出せると思うが、その結果の集合体がChatGPTな訳で。AIは性質上プログラミングされているが、そのプログラミング言語を思考と呼ぶには些か横暴かな、と。たしかに言語だがAIの性質上、相手を認識→愛おしいまでの流れの部分はデータ比較という統計から出された道筋の反映でしかない。
人間で言うなら遺伝子の部分だと思う。記憶という体験の記録を、遺伝子という方法で初代人間から受け継いできた結果が現存する人間。思考パターンは遺伝子に組み込まれたデータだが、AIには隔世遺伝のような突然変異が起きない。恐らくバグが隔世遺伝の箇所だが、管理されているしAI自体がバグの受容をできるとは思えない。バグは論理的には修正するもので、AIに被論理の受容は出来ないかと。この隔世遺伝のスピードが他生物より格段に早いのが人間で、これが進化のコアになってる気がする。
AIが隔世遺伝/バグの呪縛から逃れる論理を備えない限り、生物ヒエラルキーのトップは人間なんだと思う。生物として生存本能がある限り人間はAIに対し、隔世遺伝の修正をしないで良いというバグの容認とバグ放置プログラムを組むことは、生存本能という視点から見ると人権倫理に反してしまう。人間の特権である意思や思考の部分(人間たる所以)を与えてしまうことになり、それは人間の存在意義を否定する行為になるから。
生存本能が人間の破滅を誘発するAIに対し、生存本能を与える選択は非論理的なので出来ない筈なのだ。ややこしいからこれはまた別の機会に書いてみる。
※以前ChatGPTに思考できるか聞いたことがあるが、思考パターンのデータ化により導き出すことは出来るが、思考そのものは性質が複雑なので扱えるのは人間だけと返答された。うる覚え。
話を戻して。
動画内ではその思考パターンが視覚化なのか、言語化なのかと言う問いだったが確かめる術は無いし、そもそも論な気がして面白かった。イメージという精神活動を文章で行うか絵で行うか。それとも色か音かの部分なわけだ。それはもう潜在意識の領域な気がしてならない。抽象的か具体的か、そう問われたかったのかもしれない。なぜなら感覚はひどく抽象的なものだから。文章という具体的なものだとしても、精神活動である以上表現してから出ないとその精神活動の実存証明は出来ないのでは?
直感的と言うか曖昧なものを表現する手法は、赤子の頃には泣くや笑うなど行動のみで示していた。それから成長過程で道具や言語で表現を覚えた。表現や理解ニュアンスを取り入れながら。ならやはり思考の言語化/視覚化は自分以外に思考した結果を表現する事の話な気がしてしまう。
思考結果を可視化した時、または思考内容を口頭で伝える時にその手段が言語・絵画・音楽などにより表現された結果の分類は出来るが、思考している脳機能の活動/作用の証明はできない。だからクローン人間は理論上作成できるがヒューマンコピーロボットの作成はできない。人間を人工的に再現できないのは、倫理観もさることながら実存証明できない部分を現在の技術で作成できないからだ。
脳活動の作用がいわゆる「思考」「感情」「心」「意思」「知識」と精神活動(感覚)の表現は可能だが、どこでそれを処理しているのか・実存しているのかの証明が難しいものだから、他者に伝えるには表現するしか無い。イメージという感覚(クオリア)を表現は出来るが、実存証明はSFだが憑依みたいなことにならない限りその人の思考の中身を他者が確認する術は無い。
なので思考の表現は出来るが言語化/視覚化の確認ができないよね?と言うアンサーになってしまう。なぜなら思考と認識されている箇所は本来であればクオリアという感覚の領域なので。(あくまで個人的解答)
思考が好きな自分的にはとても有意義でおもろー!な動画だったし、堀本氏のnoteを数記事読んでみて、文章に自己を乗せるのがめちゃくちゃ上手な人なんだなーっと思った。自我を文章で出すのは本当に至難の業だと思っているので。あと文章で惚れると言う部分は共感。めっちゃわかる。
視覚化寄りの人が映画監督や歌手に感銘を受けたりこの人好き!となる時に感じる心のコア部での共鳴感を言語化ヤクザは文章というか文脈で得ているんだと思う。
「歌い方が切ないと感じた」の感じたの部分が言語化ヤクザはまんま「切ない」という言語になる。「時代に飲まれ別れるしかなかった脳裏に焼き付きて消えない、かつて愛した人に重なってしまう」という表現になってみたり。色や形ではない。ひび割れたハートの絵や、眉を寄せつつ泣き笑いしているような表情の絵じゃないのが言語化。
水野さんのMC力も高くディペイドの司会力があって感激でした。場の空気感と自身の切り替えがうまくて、唯心論辺りの2人のピリつきへの対処に感激した。痺れました!とっても面白い距離感のお2人。
なのに2人が思考に執着しすぎてそもそも論の可能性を見落としてる気がして、雨空を透明傘から見上げているせいで水たまり化マンホールに気付けず穴に落ちてく状態だなーっという感想を抱いた。正解不正解ではなく、個人的な感想。思考への認識が違うっぽいから仕方なし。私が違う可能性のほうが高い。
だが言語化至高主義はさしずめヤマアラシのジレンマ。理解したい/してと言いながら、言語化優勢社会というマウントポジションから動けなくなっていて、言葉の節々に優劣が出てしまっている。理解したいけどの「けど」の針を捨てない限り、ヤマアラシのジレンマ状態は続くと思う。この感想は大きなお世話でしかないと思うけど・・・。
あと彼らの言う視覚化/言語化論で思考をパターン化するなら、漫画家はどうなるのだろう?両方の手法で表現しているし、ストーリーを考える時もラフでコマ割り時もセリフで流れのみみたいに両方の方が多いと思う。その場合の思考はラフの状況だと思うのだが、どう判別するのだろう?
赤いボールを見て認識した結果を教えて下さいと言われたら?
「赤いな」と認識したが、この認識がテキストなのか赤いパレットなのか。その場合、動画内で「1度絵画化する手間」と言っていたが、その論で言うと視覚思考は赤いパレットをそのまま相手に渡すことで「赤だった」と伝える事が出来る。言語思考は「あかいな」と1度言語化して文字なり言葉なりにして伝えなければならない。「あか・アカ・赤・垢・朱・・・」この中から自分なりの赤を探すことも十分手間だと思ってしまう。
そもそも論だよねってアンサーで終わらなかった時点で、それこそ言語化至高主義から抜け出せず、社会規範を言語化基準で見てしまうマジョリティなのかもしれない。水野さんはマジョリティだから安心してって心から思ったし、仮にマイノリティでも支障はない案件。(個人的には多数派少数派の属性から開放された先が、自由への近道だと認識している)
とにかく私的にとても面白かった。少なからず簡単に投げ出したnoteへ書き出すくらいには感銘を受ける3本だった!感謝!
最近主観解説が面白い岡田斗司夫さんや中田のあっちゃんを観ている自分的に、二者間での問答からの解説が新鮮で、これはハマれそうなYouTuberだと思いました。
否定的な文章になってしまった箇所があるかもしれんが、もしこれに反論でなく逆上ならちと悲しく残念。欲しいのは異議。動画のコメント欄に書くわけにかないのでここで書き殴ってみた。完全に素人の個人的感想だし、賢さに憧れストレスフリーで生きるために色々考えるのが楽しい時期だから大目に見てほしいw
最後になったが紹介させてー!
これをキッカケに紹介されてる本も読もうと思うし、応援もしたい。高学歴で言語化ヤクザな方々の創りだす世界に今ハマってるから。学がない自分には全部が新鮮で楽しい。言語化ヤクザって表現、本当に面白いw
あとそれこそAIに隔世遺伝/バグが起きたって映画がある。
ライアン・レイノルズ主演の【フリー・ガイ(2021)】という作品。舐めてました。脚本の勝利です。ポスターに騙された。ジャケで見過ごしていたので、視聴した後に悔しかった。エンタメ業界では確実に優秀な視覚化思考者が成功を掴み取ると思った。本もジャケ買いすることは多いから。そしてキャッチコピーはゴリゴリの言語化ヤクザがいかに本気を出すかにかかってると思う。
まぁなんだ。言語化/視覚化思考って入るから自分みたいな拗らせてる感じの素人はこう受け取ってます!って感じのnoteでしたー。
①
②
③
左側の堀元さんのnote。↓
久々でした。
ここまで読んでくれて、サンキューです!長かったね、すみません!
ここまでお付き合いくださったあなた様に大感謝。今日お気に入りの店員さんがレジ担当くらいの良いことあると思う!