
Bach《マタイ受難曲》とカラヴァッジョの絵の謎
私は仕事のBGMは、殆どがBachなのですが、
今日はこんな素敵な動画をみつけて大満足です。
オペラ対訳プロジェクトさんに感謝です。
私の大好きなカール・リヒター(1926-1981)の指揮。
今日のテーマは、Bach《マタイ受難曲》とカラヴァッジョの絵です。
キリストの12使徒の一人である徴税人のマタイが、イエスから
「俺等について来い!」とヘッドハンティングされる瞬間の絵を
カラヴァッジョが「聖マタイの召命」という絵で大きなクエスチョンを
絵を見る人に投げかけた絵を紹介しますね。
あなたは、この絵のどちらがマタイだと思いますか?
海外旅行で美術をみる場合での、楽しさの一つです。
カール・リヒターの中での私のオススメの楽曲は
バッハとヘンデルです。^_^
■バッハ作品
マタイ受難曲(1958年)(1979年録音)
ヨハネ受難曲(1963年)
■ヘンデル作品
オラトリオ「メサイア」(英語版・1972年、ドイツ語版・1965年)
特にマタイ受難曲は・・涙がとまらない程です。
歌詞対訳字幕付き。
ヨハン・セバスティアン・バッハ《マタイ受難曲》第1部全曲。
カール・リヒター指揮 / ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団、
1958年盤です。
ある国際的なテノール歌手がこういいました。
「バッハを本当に歌いたいと思うのはリヒターだけです」と。
Q:カール・リヒターってどんな人だった?
A:
1955年には当時のミュンヘンの主要オーケストラの腕利きを集め、
ミュンヘン・バッハ管弦楽団を設立、
演奏会やレコーディングでバッハを中心とした作品を披露した。
そのかたわら、オルガンやチェンバロの演奏家としても活躍、
またミュンヘン音楽学校の教授も務めた天才。
マタイとは・・
キリストの12使徒のひとり「マタイ」ですが
有名な絵は、やはりカラヴァッジョですね。

せっかくなので、この絵の見方を書きますね。
これはキリストが、徴税人であったマタイを弟子に召命する場面が描かれているのですが、この指さした先の男たちが本当のマタイなのか?という
論争が今もずっと続いているのです。

キリストの生涯における一事件を
17世紀のローマに舞台を移して描いたのがカラヴァッジョ。
安酒場に見られるような机に派手な衣装の男たちが腰を掛けています。
そこにみすぼらしい服装をした素足のイエスと聖ペテロが右から近づいてきます。腰掛ける三人の人物は、イエスがやってきたことに気づいていますが、左の二人の男は気づかずにじっとお金を勘定しているようです。
これは、徴税師であったマタイのもとにキリストが現れ「私に従いなさい」と言った瞬間(マタイ福音書9:9)です。
■ 「髭の男=マタイ説」か?「「若者=マタイ説」か?
世界でもっとも有名な絵の謎解きのヒントを与えますね。
あなたはどちらがマタイだと思いますか?
描いたのがカラヴァッジョですよ。
絵をみる人を少し、困らせてやろうと思ったに違いません。
この絵の中で1番ひかりがあたっているのは・・誰かというと
徴税人としてテーブルでお金を数えている若い子ですね。

この左側のうつむいて徴税してきたコインを数えている若者か?
それとも髭の男性・・どちらがマタイなのか?という大議論です。
髭の男性のさす指が、自分の胸をさしているのではなく、
左側で一心不乱にお金を数えている若者をさしているという見方をとったから「若者=マタイ説」か? それじゃ、当たり前すぎてつまらない。
じゃあ、本物のマタイは誰だ?
イエスによるマタイへの召命(従いなさい)と命令の瞬間を捉えた絵が
これです。イエスの足など・・もう帰る気満々で、出口を方を向いているのです。まさに帰る瞬間のシャッターチャンスの絵なんです。
金勘定で忙しい若者のマタイがまだイエスに気づいていないことから、これを改宗以前の人物表現と考えるか、あるいは髭を蓄えたマタイがすでにイエスの声を聞いたことで改宗が始まっていると解釈するかの違いになります。
確かに、この若者がマタイであるという説は興味深いものですが、イエスの足元に注目すると、すでにきびすを返していることに気づかされます。また、イエスとの対話が始まっていないのに、この若者は次の瞬間に席を立ってイエスを追いかけていくでしょうか。
1990年になると、この「若者=マタイ説」に反論が出てきます。これまで見過ごされてきた髭の男の「右手」に注意を促したのです。
それはテーブルの上で金貨をにぎっていて、机を叩いているようにも見えます。加えて髭の男性がかぶる帽子に金貨がついていることも指摘し、徴税師がうつむいて税の支払いを渋っている若者に対して「税を支払うように要求している」と解釈し、これまでの「髭の男=マタイ説」を補強しました。
確かに、若者のほうは胸の前で財布をしっかりと握りしめ、余計な税金をびた一文支払わないように髭の男の金勘定をじっと見つめているようです。さて、皆さんは、どちらがマタイだと思われますか。