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乳がんになって「ホッとした」理由

こんにちは。
CMプランナー、ときどき、副業ライターの松田珠実です。

いま通っている、宣伝会議「編集・ライター講座」で、人生で最も「印象に残った瞬間」を考える機会がありました。

ネタばかりの人生でしたが、「やっぱりこれが一番やろ」は「自身の乳がん罹患」でした。

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2023年3月。私は乳がんの告知を受けた。ステージIIbだった。
 
会社の同僚や趣味仲間、友人には「辛いでしょう」「なんで私が、って思ったよね」「まだ若いのに…」と言われた。

けれど、私の気持ちはそのどれでもなかった。ホッとしたのだ。
それは「私は、死神なのかも」という罪悪感から、解放されたから。
 
幼い頃から、私の周りには「死」が、はびこっていた。

5歳の時、父が死んだのを皮切りに、親戚、祖母、結婚間近の婚約者、自分を引き立ててくれた上司、仲良しの友人、母と総勢15人が次々と亡くなった。先日も、大学の友人の訃報を受けたばかりだ。
 
自分が大切に思った人ほど、死んでしまう。大切に思えば思うほど、孤独になる。死に慣れてしまった。

そして、私がパワフルに生きてきただけに、周りの生気を吸い取っているのかも、という悩みが「死ぬかもしれない側」に立てたことで、消えていったのだ。

さらに、自分が「死ぬかもしれない側」に立って、思いこみも外れた。
「死ぬ🟰不幸」と決めつけていたけれど、ガンを告知された私の人生は、母子家庭という縛りはあったものの、概ね自分のやりたいことのために突き進んできたし、不幸でも、明日死んでも後悔するものではなかった。

亡くなっていった大切な人たちにも、私が知らないだけで、1つぐらい「超しあわせな瞬間」があったと信じたい。

自分が死んだ時、大切な人たちに「あの人、楽しそうやったね。やり切った人生よね」と言われたい。決して「もっと、あーしたげればよかった」という罪悪感を残したくない。
 
だから私は、ネガティブなことも、必ずチャンスに変えて、ただ前に進む、と決めている。

自分の葬式で、私の人生の全てをネタにしてもらえるように。アホみたいに笑って生きていたい。
自分が楽しんでいる姿を見せ続けることが、大切な人への「最大の遺品」になると思うからだ。

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※この記事は、宣伝会議「編集・ライター養成講座」で書いた文章に加筆したものです。

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