差別と区別を区別できない人々
昔「ちびくろサンボ」問題というのがありました。
ご存知、絵本です。
これが黒人差別に当たるということで一時絶版になりました。
当時「差別していない」とか「差別していると感じる人自身が差別していることになる」とか様々な意見が飛び交いました。
僕も「差別している」とはこれっぽっちも思っていなかったので
「差別と感じる人の感性が差別的」だと思っていました。
その考えは今でも変わっていません。
こう言った問題はなかなか難しいのです。
ランドセルは女子は赤、男子は黒という決まりはないので
今ではカラフルな色になっています。
これは「差別ではなくて区別」だとか
男らしい女らしいを差別と感じる人ほど差別していると思うとか
・・・・
名簿が男子と女子と分かれているのは差別だとか(これは区別です)
僕が思うのは「これは差別だ」という人、こういう人の意識がオカシイ。大半の人は差別と感じない人・・正常な感性なのに、差別と感じる人の感覚がオカシイ。と僕は思っています。
このオカシイ感覚は「いじめ」や「パワハラ」なども
いかにも「弱者の立場に立った見解」と聞こえは良いですが
「スキンシップの大切さ」を時の彼方に押しやり
「指導」を「支援」などという言葉で曖昧にして
躾をメチャメチャにし、日本人の感性をダメにしてきました。
頭を撫でて「良い子だね」と褒められたものですが今では
セクハラになってしまうかも知れません。
こんな変な時代になったのは「権利の履き違え」をしているのだと
僕は思います。
「権利と義務」はセットなのに「権利」だけを主張し「義務」を
忘れている親。子供。
こんなところが僕の心を日本から遠ざけているのだと思うこの頃です。
内面では武士道の復活を願っているのかも知れません。
ちなみに僕は差別は1ミリもしません。しかし区別はします。
必要だからです。
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