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ウルトラマンは弥勒菩薩だった

亀井勝一郎は
「観仏とはいかにも自分が仏様を見に行っているようだが、
実は仏様に見られている、見られにいくのが観仏である。」

と言いました。


見物(見仏)と言わずに観仏というのは
見ると観るとは違うということ。


宮本武蔵は見るということについて通常のはたらきを持つ「見の目」と、
心眼ともいうべき「観の目」を区別していたそうです。

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見るは何の気なしにただ見る。
観るは観察の観なので念を入れてよくみるわけです。
仏様を見るときに頭のてっぺんから足の先まで
観察してみているでしょうか。


仏様から言わせるとじっくりとあなたを観られているでしょうか。


仏教では
「観とは智慧のことであり、
智慧とは本質を見通すことである。」そうです。
(智顗(ちぎ)『摩訶止観<まかしかん>』『大正大蔵経』第46巻22頁)


以上のことから
観仏とは


仏様に見られに行き、本質を見られに行って心を
浄化することである

と僕は思うのです。


ものごとの表面的な有様を突き抜けて、
その本質を見通す智慧のはたらきを「観」というのです。


僕は常に自分に問います。
物事の本質を見通しているか。
事象やその人を表面的に見ていないか。


単なる外面でなく奥底にある真実を「観」の目で見ることを
していかねばなりません。コロナも戦争も。



また仏教は「一心不乱」でなくてはならないと言っています。


「歓喜合掌、一心観仏」


似た言葉に無我夢中とか全身全霊とかがあります。
結局、何であっても中途半端な気持ちでは物事は完結しないと
いうことですね。


一番僕の苦手とすることです。😂


さて、ウルトラマンは弥勒菩薩を手本にしたと言われています。
どことなく口元が似ていますね。
光の国からやってきたなんて、まさに仏様です。

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そうか、ウルトラマンは仏様だったのか。
あのスペシウム光線も弥勒菩薩の手の動きだったとは。😂

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これから公開される「シン・ウルトラマン」もありがたく
観なくてはなりませんね。笑。

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