子どもの良さを探して褒めることの連続を教育といいます
朝、教室に入ると窓が開いています。
これは素晴らしいことです。
当たり前のことなんだけど、素晴らしいこと。
しかも手の届きにくい上の方の窓が開いている。
これはなかなかできるようで出来ない。
空気が清々しい。ありがとう〇〇さん。
教室には配布物(ノートや日記帳)を分けるかごが
用意されている。
そのかごには次のように書いてあります。
「どなたか、この中のものを分けてください。」
「どなたか」となっているところがミソである。
誰がやってくれるかは日によって変わる。
全くの無報酬、ボランティア。奉仕の精神。
いつもやってくれる〇〇さん、〇〇さんありがとう。
教室には花が飾られている。
学期がはじまって絶えたことがない。
これもまた、素晴らしいこと。
こういうところに「感性の高まり」を感じる。
お花をありがとう、〇〇さん、〇〇さん。
僕は学級だよりを朝、分けるときに読みます。
読めば、〇〇が誰かは学級内なのですぐにわかります。
特別、その子を褒めなくても真似する子がいて
好循環が生まれます。
教育とは良さを見つけて褒める、
褒めるというのは「価値づける」ということです。
その連続が教育なのです。
だから罵倒したり押し付けたりする必要などないのです。
こうした動きを褒めることを「学級経営」といいます。
しかし新しく教師になったばかりの先生には無理です。
まずは理論を実践の中で体験し、自分のものとすることなのです。
この「学級経営」は会社でも通用します。
そのためには社員の小さな動きも見逃さない観察眼が
必要です。監視でなく観察眼。あたたかな眼差し。