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幸せになるよう設計されていないの・・・私たちは。


スピリチュアルな文脈で「私たちは幸せになるよう設計されている」という言葉がよく使われますが、実際にはその意味を深く考えてみると、矛盾に感じることもあります。


というのも、本来の幸せは、外部条件に左右されないものであるはずなのに、私たちが「これが幸せ」「これが不幸せ」とジャッジしてしまうことで、苦しみを自分で作り出しているからです。そう思いませんか?



1幸せの条件付けとジャッジメント


私たちは多くの場合、社会や文化、教育によって
「幸せとはこういうものだ」という条件付けを植え付けされます。例えば、「よく勉強して、進学して、臨企業に入って、社会貢献になる仕事をして、お金を稼ぎ、納税をし、家族を持って、家族と旅行して、、、それが成功することで、それが幸せだ」という固定観念です。

これらの条件を達成できなかったり、周囲と比較して劣っていると感じると、幸せではないと判断してしまうんですよね。今はSNSがあるので隣を見ることが簡単です。あの人よりも、もっと、もっと!もっと!!!ってね。外側を充実させるために必死な人、多いですよね。

どれだけ綺麗でおしゃれな家に住んでるとか、どれだけセンスのいいファッションに身を包んでいて、いくつになったかわからないほど洗練された肌で、見繕いを完全に好きなく構成することに忙しい。。。まいいんですけど。それがその人にとっての楽しみで幸せなんだし、そういう人をすごーい、羨ましい〜って見るのが楽しみで幸せなんだから。それも人生です。

しかし、もし本当に「幸せになるよう設計されている」のであれば、どんな状況でも幸せではない?。つまり、幸せの本質は、条件や外部の状況に左右されるものではなく、自分の内側で感じるもの、存在そのものに根ざしたものなのではないですか?


2ジャッジメントが苦しみを生む


幸せか不幸せかを無意識に毎瞬ジャッジしてることが、苦しみを生み出している一因です。ジャッジすることで「これは良い」「これは悪い」「これは足りない」「これは十分ではない」と感じ、幸せではないという感覚を自ら強めてしまってますよね。このジャッジメントのサイクルから抜け出せれば、実際には苦しみは大幅に軽減されると思いません?


3幸せは既にここにある


スピリチュアルな教えの一部では、すでに私たちは幸せである、もしくは幸せそのものであるということを教えています。ジャッジメントや外部の条件に左右されず、今この瞬間をそのまま受け入れることができれば、苦しみではなく、平穏や満足感が生まれるというものです。

つまり、幸せとはエゴが囁くこうあるべきや条件付けによるものではなく、すでに内側にあるものであり、「それは日常にある」 それに気づくことが大切だと思いますが、どうしてか幸せ探しをやめれず、自分探しも加えて、占いや、オラクルカード、ヒーリングに依存しているようです。それずっと続けるんですかね?いつまで続けるんでしょうか?ダメとは言ってないのですが、いつまで依存しますか?ということです。





実は生きるって苦しいことです。
「幸せになるよう設計されていない」ってことに、気づくことが、覚醒という言葉を使うとするならば覚醒っていうんじゃないでしょうか?


だってね無条件の愛の中で生きてて、
あなたは愛です、光です、創造主ですってってスピラーは言うんですよ。
だったら、もしも愛そのものなら、成長も修行もないですよね。


それなのに、自分の思う通りにいかないこと、都合の悪いこと、お金がない、仕事が続かない、虐められた、親がひどい、好きな人と一緒になれない、デートができない、結婚できない、妊娠できない、パートナーがわかってくれない、義父母が面倒、介護が大変、収入が億にならない、損した、騙された、試合負けたのは誰が悪い、お前が悪いしねとか言う、、、こと起きると、


それは宇宙のお試し、成長のため、次元上昇のため、5次元移行のため、いや今はもっと9次元意識に向かいます、とかなんとか、、、


何でもかんでも「見えない世界ならなんでもいい的に」持ち出してきて、ロマンスですか?。ファンタジー映画そのものですね。


魂があって成長のために3次元の地球に来ました。
肉体を持って5次元意識を生きていくことがやることです。
と以前の私も、それが最高峰の真実だと信じて語ってましたが、違いますよ。


魂があるならば
魂を具現化したくてそれに合わせた物語を頭の中で想像しているということです。


魂で、創造主で、神で、愛で、光なら
成長はいらないし、進化もいらないでしょ。
よーく考えてほしいスピラーさんたち。


もう一度言いますよ。
魂で、高次元の私で、創造主で、神で愛で光なら
そもそも完璧ですよね。
ならば成長なんかいらないでしょ。進化もいらない。修行なんかないですよ。


これ考えたの誰ですかね?
エゴでしょ。エゴがエゴの生存のために
「魂が、創造主が、神が、愛で光なんだけど、3次元で遊ぶためにやってきた。宇宙から立候補してやってきた精鋭なんだよ」と。


ってことは
「宇宙という物理空間が物質として存在している」ことが前提なわけですよ。


ここで整理したいのですが、
”目に見えない世界”というのは、「意識の世界」のことなのに、
物理空間の”宇宙”は、目で見ることができないので、
肉眼でこの目で確認することが実際できないことを、
”目で見ることができない”
と言ってる、ここ混同してますよね。
わかります?ここ


”宇宙”は物理空間の物質存在。
肉眼で見ることはできないけど存在している。
精神的、もっというなら霊的なこと、心なんて実際どこにあるかわからないのに、そもそも心なんてないのに、


意識のことを”心”と名前を言い換えて、心があるようにしました。多分ね…
(ここではどっちでもいいけど)
”意識=心”は目で見ることができない、非物質存在です。


この二つをミックスさせて物語を作っているってことですよね。
これって「幸せになりたいのゲーム?」
それとも「苦しみがなんなのかわからないのゲーム?」


物質存在と非物質存在を掛け合わせて、みなもとの魂があります。
魂は神のわけ御霊とも言います。そうすると神がいることになります。
神はみなもとで創造主なんですね。


その神の分け御霊である私たちはもともと神です。
分け御霊は遥か彼方の宇宙からやってきました。
遥か彼方の宇宙があると、決めたのは誰ですか???
どうして宇宙があると信じたのですか?
赤ちゃんでバブバブしていた時、宇宙なんて言葉を知らないからあるという認識はできませんでしたが、成長するにつれて
地球、惑星、宇宙という概念を知りました。


誰も地球を地球外の外側から肉眼で見たことないのに、「人工衛星から送られてきた」だけを信じて、NASAのフォトショップを信じ込んで、脳内には宇宙があることが大前提になっているので 
”宇宙に青い地球が浮かんでる”
これが我々のいる地球だ、と認識しているのが私たちの脳です。
脳は相も変わらず更新することができない、それはそれほど、幼少期に一度信じたことは覆すことができない頑固な脳の記憶装置の作りだ、ということがわかります。古いから更新をめんどくさがるのですね。


さて戻りますが
無限の宇宙を大前提として、分け御霊と称したのは、個々人を認識しているからですよね。

個々人という肌の色の違い、容姿、造形の違いから分離感を現します。
あなたがいて私がいてという分けた感覚を生み出します。
神は境界線をわざわざ作り、分離感を表すことに成功しました。


でもワンネスという解釈があります。
さらには心理学を用いると自分の内面を他人や自分以外の外側に映し出す投影が出てきます。鏡の法則を用います。


そこで、「あなたは私、私はあなた」と解釈できるようになります。
見た目は異なるけど物質全てが私です。
境界線があるように感じるのは「分離感」のせいですが実は分離はしていませんのフェーズに行きます。


その神は魂なので輪廻転生して、何度も生まれ変わることにします。
今世できなかったことを転生して再度挑戦しようとか、生まれ変わっても一緒になろうねと愛の確認を証拠として利用します。


そこで、宗教も利用します。
分離感の極上を最も味わうここ二元の世界にしかない「善と悪」を宗教的に利用し、地獄と天国を作ります。

地獄にはでっかい角の生えた鬼がいます。とてもじゃないけど耐えられない餓鬼道、畜生道、阿鼻地獄、灼熱地獄、他にもいろいろありますがそれを作りました。何千年と。何千年とそこに居続けるという設定です。


(しかし時間は幻想です。ですが肉体が死んだら◯◯日後に審査があり、49日まで続き、どの地獄に行かせるかを決めるという審判を行なっています。地獄では何千年とかけて修行をさせることになると。この時間の積み重ねで”何日”を表し、その解釈を地獄でも用いることをしていますが、変ですよ。仏教という厳粛感のある宗教界なので誰も突っ込みませんけどね・・)


「善と悪」を使うと、「地獄に落ちる、天国へ逝く」の両方を使えます。

天国は至福です。その至福感はエクスタシーです。
つまり忘我。
我のない、エゴのない状態を一瞥します。
一瞥体験は、怖さを伴う止まることのない現世では味わい難い恍惚感です。セックスで味わうそれとはまた違う、ただ似ている。


訳のわからない感じが、悟った?!と勘違いしますが、悟りではありません。まさに垣間見ただけのことです。悟りとは厳密には言葉では語れないのですから。


恍惚感に浸り花畑を歩いているように。そこへ憧れ、
我の人間は天国を勝手にこういうところとイメージしながら、
現世に昨日以前を表す過去世、今日以降の来世を作っている、ということですね。

エンジェルナンバーの解説は誰かが書いたものですが、当たったことありますか?ゾロ目を見るといいことあるんじゃないか?の前提があるためについ依存してしまいます。


ですので過去世があると都合いいです。
過ぎ去ったことや今現在、現世のうまく行かない理由探しに好都合です。エンジェルナンバーがあればもっと力強いです。


さらに、現世には来世があると都合いい。
現世のうまく行かない理由を未来に預けられます。
今日できなかった分は、来るか来ないかわからないけどきっと来るから明日へ回そうと。


また時間は来世から現世に向かっていることを理由にすると
不安や心配の”縁”を一瞬でも切ることができます。





ここ二元の世界に分離感があるおかげで、
ワンネスを生み出すことができます。元はひとつ。愛で光で。


あなたも私も個々人のそれぞれの役割があるけれど、どんな違いがあってもいいのです。それは元はひとつですから、と意味づけすることができて、愛で光でという幸福感は伝播します。

愛って何とも混ざらない、比較の対象のない独立した”そのもの”なので、いいも悪いもありません。


ノージャッジなんですよ。
究極、法を犯してても愛の側面にはジャッジメントはありません。


それをスピラーたちは、望みが叶ったとか、お金を気にせず使える、たくさん持ってる、好きなように生きている、仕事をしていて安定で、ツインレイがいて安心で、パートナーがいて仲間がいて、いつでも行きたいとこに行けて、という表面的に「良いこと」「ポジティブなこと」とされることを「愛」って歌い、「光り」と輝くオーラエネルギーを放射した風に語りあげ、陶酔させ、まるで偶像崇拝の宗教家のようにね。


厳しいことを言うのは偽物、神って言ってるの?おかしいよねと失笑するリーダー、私が本物、こう言うこと言う人が本物、これ言ってる人はダメな人、これは信頼できる人、これは信頼できない人。。。延々とジャッジメントしているのわかりますか?


良いと悪いに振り分けるのも人生の一つですし、物語ですからいいんですよ。でも延々と繰り返すジャッジメントの行き着く先に何がありますか?
そのスピ業界の凄そうな感じに呑まれたのは誰ですか?



良いことと悪いことを前提にジャッジメントのない瞬間はなく、快感と不快感を選択し続けることで、もっともっと!、もっと他の幸せがあるだろうから、だって私たちは幸せになるよう設計されているんだから、”もっと幸せになろう”としています。


今も幸せだけど、もっと幸せになろうとしたら、満足はやがて薄まります。
今満足してたらそれでもう十分じゃない?
あなたは今愛を思い出してる途中です、と言われたから?
光に埃が被ってるから、これから輝くのですよ、と言われたから?


愛に埃も何もないじゃない?
なんで愛に埃被せるのよ、
なんで愛を思い出してる途中なのよ、
どこからどこが埃かぶってる愛で、どこからどこが輝いていない愛なのよ?
なぜクエストは終われないの?


こんな内容を認めたくないスピラーは私を嫌悪するだろう。こんなに本質に迫ったある種批判的否定的見解を差し出したらサイコパスかよ?とも思うだろう。そうじゃなければふわふわの地に足のつかない妄想いっぱいの霧で包まれた天国と地獄の物語には寄りかかれないんだから。いいんですよそれで。


ただ、無条件の愛って、条件がついてませんからいいも悪いも包含していましょう。慈愛です。慈しみ、ノージャッジです。


ではジャッジメントするのは誰ですか?
人間、エゴ、脳、記憶、データです。
でも海馬には何も見えませんよ。


脳を開けて、海馬を抜き取り、切り取って、ジャッジメントすることになった元データの、憎きあの出来事の数々を取り出しそうとしても、そこにはないのですよ。嫌な出来事に対する思考パターンや認識を変えることはできますけど・・・


『幸せになるよう設計されている』
に反応したのは、今私、幸せじゃないから、ですよね。
こういうのが幸せだもん。だからそうなりたいの。
そうして幸せになろうとするために行動をしました。
でもやってもやっても幸せを感じません、幸せになれません。
余計に苦しいんです。


だって「幸せになるようには設計されてなくて・・・」



え??? じゃあ、苦しいままなの?
そう。生きるって楽しいことではないのよ。
じゃあ苦しいまま生きるしかないの?
いいえ、


苦しみの根源は、エゴ(自我)です。
でも苦しみの根源には何があるのでしょう?


自我は未来への期待や過去への執着、そして分離感を持っています。
エゴの分離感は他人を創造します。
他人がいないと自分を知ることはできないと言われています。


世界=私と聞いたことがあると思いますが、、、
反応することで自分の中に何があるかを知ることができます。
神、みなもと、高次元の非物質存在といえども、
肉体を媒体とするには理由がありましょう。


事実、毎日一人で過ごしていると無反応なんですよ。
空を見るだけで怒りは湧いてきませんが、未解決の反応するものがあれば空を見ただけで怒りが湧いてくるかもしれません。


ではもしも苦しみを感じたかったら?
苦しみからの大逆転の感動を知りたかったとしたら?

それでも分離感を払拭できないのがエゴです。

私たちは、人生の中でコントロールできないことや、欲望が満たされないことを避けることができません。ジャッジメントをやめたと決めてもジャッジメントをするような設計になっているからです。


しかし、生きることで感じる苦しみは、これらに対する私たちの反応や思考パターンによって強まります。生きること=苦しみがあってもいいよ、と受け止めることができたら、幸せになろうと探さしませんよね。苦しみはあってはならないんだ!と抵抗し続けているから苦しみは強化され続け、顕現され続けるのではないですか?


もし、これらの執着や抵抗を手放し、今この瞬間をあるがままに受け入れることができれば、苦しみは大幅に軽減されると思いません?

つまり、苦しみは自分自身の内側から作り出されているものであり、意識を変えることによって緩和することが可能です。



非物質の存在、神、創造主、愛で光の分け御霊、高次元の存在、みなもとは、それに対して、これは愛ですがこれは愛じゃありません、この人には愛はありません、愛のない人もいますよ、、、なんて言えますの?


言いません。


それに、エネルギー、波動の強さなんて誰がどうだなんて厳密にはわかりません。高くて強いと感じるには自分の中に基準を持っていなければジャッジメントできません。そうジャッジメントしていますよね。

あの人はオーラが強いとか綺麗とか。それほんと?弱くて低いからどうってことないのです。高くて強ければいいって? 綺麗ってどこがボーダーラインになってますの?それ誰が言いました? 
神とか高次元の非物質、みなもとや魂がそんなこと言います?
そんな枠を狭めるような小さいこと言いませんよね。
言わないんです。誰も言いません。


だってもともとは、愛で光なんですよね。
愛で光で、神で、創造主で、みなもとで、高次元の存在でというなら・・・
弱いふりしているだけじゃないですか。
うまくいくもいかないもそのジャッジメントをしているのは、
できないふりをしているだけじゃないですか。


はじめから幸せしかなかった。はじめから完璧しかなかった。
なのに業界的に「幸せになるように設計されている」と打ち出すことで大衆を沸かすことができた。。。
そうすると『私は全然幸せじゃない・・・』を作り出すことができます。
それを前提とし、『私の幸せはどこにあるの?どうやったら手に入るの?』
『私の輝きはどこにあるの?』『どうしたら?』というクエストフェーズに居続け、スピ業界の餌食になるゲーム・・・にのめり込んだままでしょうか?
そろそろ物語は佳境を迎えますね。


私の信念はこうです。すでに私たちは完璧な本質を持っているという信念に基づいています。毒親育ちや繊細気質、HSPの特徴を持つ人々が、あの類まれな凄まじい困難な環境を、訳のわからない状況にも繊細な感覚や洞察力を駆使して超えてきたということは自身を養ってきたということでもあるのです。それは、逆に言えば、苦しみの中で自分の本来の力を発見する鍵が与えられているとも言えます。


苦しんでいるのは、偽のアイデンティティのあなたであり、外側に何かを追加することを求めるのではなく、偽のアイデンティティを脱ぎ捨て、本来の自分に戻ることです。


その殻を破って本当の自分に出会えば、必要な物質、愛に溢れるといったものも自然と流れ込んでくるということが分かります。殻を脱ぎ捨てること自己解放のプロセスです。


スピリチュアルの世界では、しばしば物語が作られます。
「次の次元に上がる」「魂の成長をする」といったストーリーです。
しかし、本当の意味で真のスピリチュアルな目覚め、解放が訪れるとき、これらの物語が必要なくなる瞬間が来ます。それは、目の前の瞬間に、ただ存在している自分を受け入れることができたときです。


あなたの中にあるいくつもの概念が邪魔をしていることに気づき、自分の中にある制限を手放すこと、そしてすでに持っている◯◯に気づくことです。

どれが本当かって?
全てが本当ですよ、正解しかない世界にいるの。
ノージャッジってそういうこと。


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そうするとセンスないと言いますが誰でも持ってます。忘れているだけです。
自分が今すぐヒーリングスポットになることで芋蔓式に変わっていきます。


想像してみてください。偽のアイデンティティという自分と自分だと思い続け、真の価値をすっかり忘れてしまった状態では、自分のしたことや結果に意味づけをしたり後悔ますよね。後悔と不安、心配で埋め尽くされた脳内に、いくら新しい情報を入れても後悔と不安、心配が吸い取ってしまうんですよ、給水シートの如く。


例えば浄化をしても真に癒しきれてないので、そのための余白をつくりたいのですがどうやってやるかわからないまま、仮にヒーリングを受けても浸透する前に元通りではないですか?またどれほどパーソナルカラーやメイクで見かけを美しく加工しても、溢れる魅力・色気・所作までは加工できません。根本的な今お持ちのアイデンティティ総取っ替えをするために、「安全と安心を」土台にしなければウォーターベッドのようにふわふわして足元がおぼつきませんから、行きたいところへピンポイントで行けませんのでジプシーアゲインなのです。


波動を信じている人たちは波動さえ維持していれば大丈夫という信仰心があり聞く耳持ちたがりません。でも波動維持してるだけでは心の傷という過去の記憶はなくなりませんよね。スピ系毒親育ちは特に一人では変われません。死の恐怖と隣り合わせの特殊なので経験者が伴走しないと過酷さが多重になるばかりで本当に詰んだままです。そのまま人生を終わるのは悲しいですよね。スピ系HSPもきつい3次元的な構想で指示命令をしてくる人には注意をしないと逆戻りします。


これ全部自分で経験しているので、そういう意味でも生き方をマスターしたので、最短6ヶ月継続で目的地へ連れてってあげます。
あなたは私の出した最新の船にちょこんと乗っていれば私が舵を切りますから、力も操作方法も知識も入りません。入りすぎた知識を吸い取るのが先なので整理整頓はしますが。波動調整を信じてやり続けてもいいですが、今までと同じことをしても根本が変わらないと行動も変わりません。変わるメリットをわかろうとしない脳がある限りは。でもただ行動すればいいわけではないのです。努力不要という言葉にかまけてやることを後回しにしたりしないように言葉のチョイスも慎重さを要します。意識的に生きるということです。


一日一日今の瞬間の自分を大切にする継続しか道がないのです。1週間後には変わってるなんてパリピみたいなノリでできません。肉体の筋トレだって毎日継続して1ヶ月やってやっと変化が見えるくらいなのですから、意識や心に関しては1ヶ月では氷層部のゴミ取るのにようやく慣れたねという感じです。


次々と世情は変化しどうでもいいゴミ情報も積み重なっていきます。この先税金が上がり続け物価上昇と食糧制限で食べ物が減ったとしても、天変地異が来ても苦しいと思わずに生きていけますか?幸せですと言えますか?どう頑張っても自分で自分を助けるしかありません。そばにいてくれる人をパートナーで埋めようとしてはダメです。パートナーは補填する人ではない。


そんな中でも好きに自由に気ままに生きていきたくないですか?
環境って本当に大事です。


今まで心の底からのんびりできなかった分、楽々目的地に行けて安寧のゆっくり暮らすのが良いか、今までと同じ灰のような暮らしにするのか、どちらも人生経験ですので、どちらでも等価値です。


しかし本来の選択肢はいつも目の前に広がっていますが、見えないのは偽のアイデンティティのせいです。
偽のアイデンティティを解いたら、苦しいもあっていいと包含します。
すると生きづらさがなくなるので、幸せが欲しい、幸せになりたいなんてこだわらなくなるのです。
こういう真理を求めている人はとても少なく思いますが、ここに全てを見通した者がいます。


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