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無印良品に行きたい
無印良品が好きだ。
あの整然と並べられた商品棚は見ているだけで幸福度が跳ね上がる。
例えばあの文房具コーナーはどうだ。種類も色も気持ちよく分かれている。ノートの平置きも美しい。ファイルスタンドは自宅でも会社でも愛用している。
キッチンコーナーもたまらない。無骨な鉄のフライパン。カトラリーも洗練されていて、購買衝動に駆られる。痒いところにさりげなく手が届くような設計がなされた商品と、それを魅力的に見せるディスプレイ。
未だ嘗て、これほどまでにタワシが燦然と輝く売り場があっただろうか。
特に好きなのは住空間のコーナーだ。
ベッドにテーブル、布団や枕。我々の生活には欠かせない身近なアイテムが揃っているというのに、そのディスプレイには生活感がまるで感じられない。
シルバニアファミリーの方が生活という面ではまだ説得力がある。
だがそれがいいのだ。
それから商品名がいちいちポエミーなのも良い。システマチックな商品と相反するストーリーを帯びたコピーは非常に素晴らしい。
リビングでもダイニングでも使えるテーブル、フライパンでつくるナン、脇に縫い目のない二重ガーゼパジャマ。
これはもはや単純なコピーではなく、数多いるユーザーの生活を想起させる小説の書き出しに等しいとさえ思う。
つまり、無印良品はある種の美術館的役割を担っているのかもしれない。
なかなか気軽に美術館に行けない私にとっては、いくら混んでいようとも、きっちりとモジュールの揃えられた商品が陳列している様を眺めるのはなににも変えがたい喜びなのだ。
そしてそこに添えられたポエミーな商品名が、さらにその芸術性を高める。
だが、自粛期間が長引き、私は長らく無印良品に行くことができずにいる。
自宅に長くいるからこそ目につく我が家の雑然とした収納に辟易し、あの美しい陳列を見ることで自宅の収納を改善するインスピレーションを欲しているというのに。
致し方ないことは十分に理解してはいるものの、心はその理性に追いつかないのだ。
まるで北朝鮮のマスゲームの如く寸分の狂いもないディスプレイやモジュールがぎゅっと詰まったあの店に行きたいのだ。
この時期になるとやたらリネンをポエミーに推してくるあの店に。
そしてそれを眺めながらムジカフェーであんまり美味しいとは思えない、パサパサのパンらしきものをかじるのもいいだろう。
ああ、この自粛期間が終わったならば、私は喜び勇んで無印良品へ行こう。そして、心ゆくまで買い物を楽しむのだ。
それを糧に、この日々を生きて行こうと思う。