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わたしの傷を背負ってしまった友人の話
先に言うておきますけども、この話は全然重くないです。
はじめに
それはいつのことだったか、兎にも角にも仕事はおろかプライベートさえもメチャクチャだった頃の話です。
やることなすこと全部裏目に出るという、厄寄せ女まっしぐらな時期がありました。
リストラの傷が癒えないまま、次の職場では倒産危機だの、さらには親戚がバタバタと死に、万年喪中みたいな顔で出社したときのことです。
ちなみに、親戚がバタバタ死にはしたもののだいたい90オーバー100オーバーの大往生だから、そこまで嘆く必要はないのかもしれませんが、なにせ幼少期から可愛がってくれた人たちなので凹みまくってました。
もう無理だと思った
その日、わたしはなにもかも捨てたくなっておりました。
やりかけの仕事をドブに捨てて、荒川の土手でわんわん泣いてやろうかと思うくらい追い詰められていたのです。
なにがGoogleアナリティクスだよ、バカ!!
サーチコンソールのアホ!!!
みたいな感じだったと思います。
大概飯を食えば機嫌はなおるものの、その時ばかりは自己嫌悪のデススパイラルにハマって、どうもがいても抜け出せない状況です。
そんなときふと、Twitterを起動したのです。
当時は電車遅延情報をリアルタイムでチェックできる程度のツールでしかなかったんですが、本当に何の気なしに。
つらすぎわろた、しぬ
みたいなことを呟きました。
フォロワーなんてせいぜい20人くらいの、極小鍵垢です。
もちろん、いいね、も、リツイートもありません。
わたし自身、翌日にはそんな瑣末なツイートの事などすっかり忘れていました。
しかし、リツイートよりも強烈な反応が翌日返ってきたのです。
予想外すぎて腹がよじれるほどわらった
「ぴんこ、その痛み、あたしが背負ったからね!」
翌日、意気揚々とわたしに声をかけてきたのは、交友関係極狭なわたしにとって数少ない友人の1人です。
それから、満面の笑みをうかべ「みて!」と、胸元をわたしに晒すのです。
ちなみに彼女は筋トレにハマっており鉄板仕様のコルセットで腹と胸をしめつけています。
そんな彼女の鬱血しそうな胸元には、キラリと光るボディピアスがありました。
「ちょ、まて、なに、これ」
「ぴんこ、つらそうだったからさあ!」
「ツイート見たよ!つらそうだったから!」
理解できないわたしを目の前にしてもなお、当然のようにわたしの心配をするのです。
もう本当に正直なことを言えば
なんだこいつ、マジなんなんだこいつwww
である。
よくよく話を聞けば、昨日の不用意なツイートを見たその友人は、原宿のボティピ屋に行って、胸元に鉄板を埋め込み、そこにねじ込むたいぷのボディピアスを開けたのです。
もう一度言おう。
なんなんだこいつ
しかし、戸惑いと同時に感じたのは、不用意な発言をTwitterに投下してしまったことへの懺悔と、それからほんのすこし嬉しく思ってしまったこと。
そしてしばらくそのボディピアスを見て爆笑していました。
その後、彼女のボディピアスは増えていきましたが、事あるごとに胸元のボディピアスを指差して彼女は言うのです。
これは、ぴんこの痛み
その後
話は飛んで数年後、その友人は結婚した。ついでに妊娠もして、わたしが背負わせてしまった痛みを撤去することとなったのです。
彼女はわざわざ、撤去日について連絡してくれました。
それを聞いた時、なんとも言えない不思議な感覚がありました。
やっとわたしの不用意な発言によって背負わせてしまった痛みを、その胸元から降ろす時がきたのか。と言う気持ちと、なんとも言い難いさみしいような気持ちと。
そういう友人がいるわたしの人生も、なかなか捨てたもんじゃないな。と。