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2019筑波大学/倫理/第三問
【2019筑波大学/倫理/第三問】
問三 武士が出現して以降、様々な思想家が武士の理念について語ってきた。それらを取り上げ、自由に論せよ。(400字内)
〈GV解答例〉
中世に武士勢力が政治を主導すると、古代の王朝貴族文化と差別化するために禅との接近が図られ、質素を旨とする武家文化が発達した。江戸幕府が成立すると、戦国遺風が一掃されると同時に儒家思想を参照しながら現実に即した武士像への修正が模索される。当時支配的だった朱子学に対して孔孟の教えに回帰する古学派の山鹿素行は、太平の世の武士は農工商の精神的な模範たるべきだという士道を説き、武士階級の理念的延命を図った。こうした試みを経て、近代国家の成立で武士階級が没した後も日本の独自性や優位性を説く理念として武士道はしばしば参照された。特にキリスト者内村鑑三が、自己犠牲的な武士道に接木することで日本こそが理想的なキリスト国になれるとする二つのJを説いたのは重要である。こうして理念化された武士道は、個人の克己心を助ける場合もあるが、「勇ましさ」を強調しつつ過度な利他性を強要する場合もあるので、留意する必要がある。(400)
〈ChatGPTくんの答え〉
武士の出現以降、武士の理念に関する多様な思想が展開されてきた。特に鎌倉時代から戦国時代にかけて、武士道という概念が形成され、その核心には忠義、名誉、勇気といった価値が位置づけられた。思想家たちは、武士の存在意義を考察し、社会秩序の維持や国家防衛における役割を強調した。
例えば、江戸時代には儒教の影響を受けた思想が武士道に融合し、忠義が主軸となった。朱子学者の伊藤仁斎は、主君への忠誠を最も高貴な徳と位置づけ、武士の行動規範として強調した。一方、山本常朝の『葉隠』は、武士は死を覚悟し、生きることではなく死に際の名誉を重んじるべきと説いた。
しかし、これらの理念は現実の武士の生活と乖離する部分も多く、名誉や忠義に縛られることで、武士たちは個人的な利益や幸福を犠牲にすることもあった。こうした矛盾を含む武士道は、時代と共に変容し、現代に至るまで影響を与えている。