ジョーカー フォリ・ア・ドゥ感想〜激烈早漏射精が覚ます狂妄〜
ジョーカー
2019年に公開され世界中で話題になった作品。
当時、日本もいつかこんな世界になると言われていたが想定されていたより早く無敵の人と呼ばれる人間が横行する世界になってしまった。
いや、本当はずっと前から世界は歪んでいて、この作品が弱者の暴力を描いたからこそ世間がそれに意識を向ける様になったのかもしれない。
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ
そんな問題作の続編だが、とにかく評判が悪い。
ガッカリだとかミュージカルが多過ぎるだとか。ミュージカル?ミュージカルってなんだ???オイ!!!!!ミュージカルってなんだ!!!!!???
実際に自分の目で確かめるしかあるまい。
◆ジョーカー フォリ・ア・ドゥ感想
以下ネタバレ含む
全然良かった
いやめちゃくちゃ面白いじゃないか
まあ実際、ミュージカルが多過ぎる。
これは苦手な人は何見せられてるんだ???
となるのもおかしくはない。
コレに関しては慣れかと思う。
普段からミュージカルを愉しんでいる、或いは海外アニメ、ハズビンホテルなんて特に顕著だが。そういった作中で登場人物が歌う作品に触れてる人間からするとなんだコレ感は特に感じなかった。
それでも作中体感半分くらい歌ってる気がするが。
ただ、精神を病んだ人間の的外れな万能感、恋愛した時の埒外な高揚感が見せる景色と思えば身に覚えがある人間も少なくないだろう。
狂人の精神状態、見ている世界に強制的に観客たちを引き摺り込んでいるのだから困惑するのも無理は無い。
ミュージカルは必要不可欠な要素だと思う。
というかミュージカル抜きだとあまりにも単調で陰鬱な内容になる。
展開を箇条書きしたら殆ど場面転換が無い。
刑務所→裁判→刑務所→裁判…
冷静に考えると頭がおかしくなったおじさんが裁判で陳述したり刑務所でタバコ吸う全くもって灰色の映画である。
ただ、重ねて言う様にミュージカル場面があまりにも多過ぎる。
ミュージカルを楽しめる人間ではないと疲弊してしまうのは否めないだろう。
◆評判の悪さの理由と激烈早漏射精
批判の理由、コレはもう簡単で求めていたジョーカーではなかった、というところだろう。
他のジョーカーの作品の様にハーレイとジョーカーが街中を犯罪で蹂躙したりだとかそういったシーンは一切無い。
更に前作で作り上げた敗者のヒーロー、叛逆する弱者のシンボル像を足元から粉々にした様な作品だった。批判の大半はここにあるんじゃないかな?とも思う。
ただ、前作もダークナイトのクールなカリスマジョーカーを期待してた層からは2時間に渡り頭のおかしくなったおじさんを見せられたために否定的な意見が多かった。
今回も前作で新たに完成した逆襲する弱者、敗者も主人公になれる、そんなホアキンジョーカーファンの理想を裏切った形になる。
つまりは正統続編だな…
人を傷つけた程度では人は変わらないし強くなったわけでも無い。
特に顕著なのがリーとの情事のシーンだろう。
あまりにも早漏でぎこちないセックスで冷や水を浴びた方も多かっただろう。
え?なんでわざわざ見せるん…?
なんだコイツ…でもまあ確かにジョーカーになる前は冴えないしそういえば童貞だろうな…と。『ジョーカー』が孤独で哀れな中年男性だったことを思い出させる。
情事のシーンはカットして朝を迎えるなどの匂わせでもよかった筈なのにわざわざ射精まで描き裁判でわざわざ童貞であると確定させたのも結局所詮は情けない中年であるということを印象づけたかったのだろう。
アーサーを散々痛めつけた看守もオイオイコイツ死ぬわと思ったら最後まで特に反撃することなく一方的にボコられ自らの信奉者もゴミの様に殺され独房で怯える始末。
そう、別に彼はカリスマでも弱者の代弁者でもサイコパスでも殺人狂でもない。
衝動的に、たまたま手元に凶器があったからこそ勢いに任せて人を殺せただけの弱者だったのだ。
と、観客も、アーサーも気づいてしまった。
歪んだ夢から覚めた。狂妄が冷めた。
ついにアーサーは彼の、大衆の望む姿を否定してしまった。
人間は一度狂ったら狂い続けなければならない
彼は自らの歪んだ精神と大衆の熱狂が作り出した狂妄の中に生きていたのにそれを捨ててしまった。
魚が水の中でしか生きられない様に、狂気の中でしか生きられない人間もいるのだ。
そういった人間は、正気に戻った瞬間自らの惨めさに気付き絶望する。
リーもそうだろう。
愛とは都合の良い妄想を意図的に見ているだけ。彼女にとっての理想は決して存在しなかった。彼女はアーサーの中にジョーカーがいない事に気付き、彼に失望してしまったのである。
彼女の冷め具合もリアルである。
この文を読んでいる諸兄の中には女性はどんなに自分の事を愛していても、どんなに信頼し合っていても些細な一言でその熱は冷め去っていく事を解っている方もいるのではないだろうか?
そしてあのシーンを見た時に冷や汗と共に自身の経験がフラッシュバックしたに違いない。自身に向けられた刃物の様な失望の味を。
夢から覚め熱狂も冷める。
そんな映画だった。
アーサーやリーに限らない。
人は皆都合の良い狂妄の中で生きていて、それを自分に、他者に見ている。
その狂妄が覚める瞬間が自分の場合は絶望、他者に対しては失望になるわけである。
今回の映画はそんな狂妄と絶望と失望を登場人物だけでなく観客にも体感させる凄まじい作品だったなあ。と思った。
人間が幸せに生きる方法はどんなに惨めでも楽しい狂妄の中で生きることであり、決して正気に戻ってはならないのだ。
結局妊娠はホントなんだろうか?
ウソなんだろうか?
自分としてはもう、この作品で完結でいいかな…と思うがジョーカーではなかった、ジョーカーになれなかった彼の息子が本当に『ジョーカー』になりバットマンとドンパチする…
そんな王道バットマンに繋がる未来もあるのかもしれない。
これも所詮狂妄だが。