他人事ではない悲劇 - 通勤路で目撃した人身事故が語る運転の重責
朝靄の立ち込める通勤路。いつもより車の列が長く、不吉な予感が胸をよぎる。ゆっくりと進む車列の先頭に近づくにつれ、異様な光景が目に飛び込んできた。
白い乗用車の前に横たわる老人の姿。70代と思しき白髪の男性が、アスファルトの上で冷たく横たわっている。運転手らしき男性が慌てふためき、震える声で呼びかけるが、老人の体はピクリとも動かない。まるで時が止まったかのような静寂。
周囲には既に野次馬の群れが集まり、人だかりができていた。皆一様に息を呑み、事態の深刻さを物語っている。警察や救急車のサイレンが遠くから近づいてくる。
私は車を進めざるを得ず、その場を通り過ぎた。だが、この光景は簡単には頭から離れない。他人事ではない、と強く感じる。明日は我が身かもしれないのだ。運転する者として、常に危険と隣り合わせにいることを痛感させられる。
その思いが冷めやらぬ中、さらに前方でまた別の事故現場に遭遇する。スクーターと乗用車の接触事故だ。幸い大事には至っていないようだが、この辺りに何か禍々しいものが潜んでいるのではないかと、背筋が寒くなる。
より一層慎重に運転し、事故現場を通り抜けていく。だが、心の中では不安が渦巻いている。運転をしていると、時として立て続けに事故に遭遇したり、取り締まりに引っかかったりすることがある。まるで周期があるかのように。
ふと、昨日目にした事故の光景が蘇る。ワゴン車の横腹に中型バイクが突っ込んだ惨状。ワゴン車の側面は大きく凹み、バイクは無残に大破していた。救急車が去った後だったが、ライダーの重傷、あるいは最悪の事態さえ想像させる惨状だった。
これら一連の出来事が、交通安全の重要性を強く訴えかけてくる。他人事ではない、明日は我が身。無事故無違反の誓いを新たにし、ハンドルを握る。道路は命のせ綱、一瞬の油断が取り返しのつかない悲劇を生む。今日も、明日も、そしてこれからも、安全運転を心がけねばならない。それが、道路を使う全ての人々への責務なのだ。
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