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バルバドスの動く棺桶:200年語り継がれる怪奇現象の謎


はじめに

カリブ海に浮かぶバルバドス島。その美しい景観とは裏腹に、19世紀初頭から語り継がれる不可解な怪奇現象がある。それが「バルバドスの動く棺桶」事件である。この謎めいた出来事は、200年以上経った今でも人々の興味を引き付け、オカルト愛好家たちの間で語り継がれている。今回は、この不思議な事件の詳細と、それを巡る様々な説を紹介していく。

事件の発端

チェイス家の地下墓所

バルバドス島のクライストチャーチ教区教会の敷地内に、ある地下墓所は、1724年にジェームズ・エリオットによって
建てられた。

この墓所は、後にトマス・チェイス卿の所有となる。チェイス卿は、サトウキビ栽培で財を成した人物だが、奴隷所有者であり、無慈悲な男として知られていた。彼の行動は黒人奴隷に対して非常に残酷であったとされている。

このチェイス家の地下墓所は、サンゴ石とコンクリートで構築され大きさは約12フィート(約3.6メートル)×6フィート(約1.8メートル)に及ぶ。地下に埋められたこの墓所は、単なる埋葬の場ではなく、まるで一つの部屋のような印象を与える。

内部には、家族の遺体が次々と安置されていった。1807年7月31日にはトマシーナ・ゴダード夫人が最初に埋葬され、翌1808年2月22日には、チェイス家の末っ子である2歳のメアリー・アンナ・マリア・チェイスが安置された。

長い間静寂を保っていたこの墓所だが、その後の葬儀の際に起こった異常な現象がその静けさを破ることとなった。これらの出来事は、後にバルバドス島全体を震撼させる怪奇現象の始まりとなるのである。

最初の異変

1812年、チェイス家に痛ましい悲劇が訪れた。トマス・チェイス卿の娘、10歳のドーカス・チェイスは、父親からの耐えがたい虐待に耐えきれず、7月6日に自らの命を絶った。彼女は意図的に絶食を続け、父への抗議と苦痛の象徴として餓死したとされる。彼女の棺を安置するため、墓所が開かれた。しかし、そこで人々は驚愕の光景を目にする。すでに安置されていた2つの鉛製の棺が、元の位置から移動していたのである。これらの棺は鉛で内貼りされており、その重さは約250キロにも及ぶ。通常、このような重量物を動かすには数人の大人が必要だ。それにもかかわらず、棺はまるで投げ出されたかのように壁の方に逆さに動かされていた。この不可解な現象に、立ち会った人々は言葉を失った。


繰り返される怪奇現象

トマス・チェイス卿の死

1812年8月、トマス・チェイス卿自身が突然の発狂と死を迎える。彼の葬儀の際、再び墓所が開かれると、またしても棺の位置が変わっていた。2人の少女の棺が、墓所の北東の隅から対角の南西の隅に移動していたのだ。

サミュエル・チェイス父子の納骨

1816年10月、チェイス家の親戚であるサミュエル・チェイス父子が亡くなり、同じ墓所に安置されることになった。墓所を開けると、またしても棺の位置が変わっていた。特に、トマス・チェイス卿の鉛の棺が入り口まで移動し、戸に当たっていたという。

カンバーミア子爵の調査

この不可解な現象に、当時のバルバドス総督であるカンバーミア子爵が調査に乗り出す。子爵は墓所を細部まで調べたが、何の手がかりも見つけられなかった。そこで、棺を元の位置に戻し、床に砂をまいて、戸に個人用の封印を施した。

最後の調査と謎の深まり

バルバドス総督のパーティー

1820年4月18日、バルバドス総督の官邸でパーティーが開かれた。酔った勢いで、総督が墓所を見に行こうと提案し、9人の一行が墓所へ向かった。

衝撃の発見

墓所の扉を開けると、子爵の封印は無事だったものの、中の光景は想像を絶するものだった。棺はバラバラに散らばり、さらに驚くべきことに、アレクサンダー・アーウィンの棺が跡形もなく消えていたのである。


真相解明への試み

オカルト的解釈

この怪奇現象に対し、様々な説明が試みられてきた。一つは、チェイス卿に虐げられた黒人奴隷たちの呪いだとする説だ。チェイス卿の残虐な扱いに恨みを抱いた奴隷たちが、呪術師の力を借りて復讐を果たしたというのである。

科学的アプローチ

一方で、科学的な説明も提唱されている。超常現象研究家のルパート・T・グルードは、以下の2つの仮説を挙げている:

  1. 雨水の浸水により、地下墓地に溜まった水で棺が浮いた

  2. 地震の揺れにより棺が移動した

しかし、これらの仮説にも疑問点がある。鉛製の重い棺が水に浮くとは考えにくく、また、バルバドスは地震の少ない地域であることから、完全な説明とは言えない。

現代の調査と新たな視点

現地調査の結果

近年、この事件について現地調査を行った研究者たちがいる。彼らは国立図書館で関連資料を探索し、興味深い発見をした。『バルバドス博物館・歴史協会紀要』第19巻に掲載された「バルバドスの未解明ミステリー」という記事には、一般に伝わる話とは異なる内容が記されていたのだ。

伝説と事実の乖離

この記事によると、棺の移動が確認されたのは1812年、1816年、1820年の3回のみだったという。また、総督による事前の調査や、入り口への押印、床への砂撒きなどの記述も一切なかった。この発見は、長年語り継がれてきた伝説と実際の記録との間に大きな乖離があることを示唆している。


未解明のミステリー

続く謎

200年以上経った今でも、「バルバドスの動く棺桶」事件の真相は明らかになっていない。科学的説明を試みる者もいれば、オカルト的な解釈を信じる者もいる。しかし、どの説明も完全に納得のいくものではない。

歴史の闇

この事件の背景には、バルバドスの複雑な歴史が影を落としている。サトウキビ栽培による経済発展と、それを支えた黒人奴隷制度。チェイス卿のような富裕層と、彼らに虐げられた奴隷たちの対立。こうした社会的背景が、この怪奇現象の解釈に影響を与えているのかもしれない。

結びに

「バルバドスの動く棺桶」事件は、単なる怪奇現象以上の意味を持つ。それは、19世紀のカリブ海地域の社会や文化、人々の信仰や恐怖を映し出す鏡でもある。科学では説明しきれない現象に直面したとき、人々はどのように反応し、解釈するのか。この事件は、そうした人間の本質的な部分を浮き彫りにしているのだ。

今もなお、クライストチャーチ教区教会の敷地内には、あの地下墓所が残されている。扉は開かれたままで、誰でも中を覗くことができる。しかし、もはや棺は置かれていない。ただ、薄暗い空間が、200年前の不可解な出来事の記憶を静かに留めているだけだ。

バルバドスを訪れる観光客の中には、この墓所を訪れる者もいるという。彼らは、カリブ海の青い海と白い砂浜を楽しむだけでなく、この島に眠る謎めいた歴史の一端に触れようとしているのだろう。

「バルバドスの動く棺桶」事件は、我々に多くの問いを投げかける。科学で説明できないことは本当にあるのか。歴史の中で語り継がれる物語は、どこまで真実なのか。そして、我々は未知の現象にどう向き合うべきなのか。

これらの問いに対する答えは、おそらく一つではない。しかし、この不思議な事件について考えることは、我々の想像力を刺激し、世界の見方を広げてくれるはずだ。バルバドスの青い空の下、今も静かに佇む地下墓所。そこには、まだ語られていない物語が眠っているのかもしれない。



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