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やっぱり、居心地のいい場所って、毒だ。

先日のnoteの続編、みたいな扱いで呼んでくださいね。(といって自分が内容忘れてるので読み直してきます。。。)

読み直してきました。案外、「以後ごちのいい場所が毒かどうか」よりかは、「自分にとって居場所とは」とか、「所属意識」の話がメインでしたね。まあなんていうタイトルと内容のギャップに突っ込みながら、ちゃんと書くならいっぱい書いて書き直して作り上げていきたいなあと思いながら(この文章全部寝る直前に書き上げてて、基本チェックしていないのです)始めてゆきます。

ステップ1.きっかけ
先日(おととい)、じぶんにとって居心地悪いな―というイベントに参加してきました。具体的に言うと、名刺交換会や交流会があまり楽しくない、知ってる人が少なくて心理的安全性が低い、そもそも複数名で参加してる人がいて入りにくい、なんかすごい人ばかり、、、みたいな感じです。要約すると陰キャコミュ障がその場に居合わせてしまったというだけなのですが、(言い過ぎ)何にしろ苦手で、あー居心地悪いなあと実感したわけです。ところがどっこい、懇親会では見知らぬ面白そうなおじさん×2と、それぞれ活動してる学生と万博について語り合っていたのです。その瞬間が、楽しすぎて!参加してよかったと思えた瞬間でした。

まあこの体験を呼んで、なんや場にはいれてうれしくて満足してるだけやんと思ってる人もいるかもしれません。(少なくとも私が読者ならそう思います)なので、

ステップ2.「なぜ居心地のいい場所は毒なのか」について力説したいと思います。今回かきたいのは、「居心地のいい場所が毒である」というよりかは「居心地の悪い場所も時には必要」ということなのですが、まず、これまでのわたしのスタンスは、「したいことだけすればいいし、好きな人とだけ関わってればいいやん。一回しかない人生、自己本位に生きなきゃ!」でした。今回の場合ももれなく、運営として参加したのですが「ん?」と思う場面が多く、前日まで仮病で休んでやろうかと思っていましたし、何なら当日行ってからでさえもこのイベント参加のために休んだミーティングに思いをはせたりしていました。

ですがその一方で、「これだけのお金と時間かけていくんだから、絶対に何か成果を得てやるんだぞ」っていうめらめらとした野心があったのも事実です。いくからには何かを得てやる、そんな発想これまでなかったので記録しておきます。

本題に戻ると、自分にとって居心地の悪い場所とは、自分の価値観に合わないことをして認められている人や評価されている(ように見える)人がいる場だと考えます。しかし今回は、そんな人とじっくり話す機会、そして価値観が大きく違うことを実感する機会がありました。タイプが違うから話も合わないと思っていた彼らと議論(とまではいかないが意見の言い合い?)をすることができたのです。
これを通じて、自分がこれまでの活動で何を思っていたのか、どうしたいと考えているのかを知る機会になりました。そこで私はこう思いました。
「ああ、居心地ええところで終始してたらあかんねや」
居心地が悪いからこそ、意見や価値観が合わないからこそ気づくことがあります。正直、そっちの方が成長するかもしれません。
なので、これからはあまりあわないな、、みたいな場や人とも積極的に関わり(できる範囲で)お互いを直視し、(都合が悪いから目を背けるのは無し!)受入、またレベルアップしていきたいと感じます。

うわー1500字超えそう!そういえばやってみたかった毎日日記も付け足していきましょ。
9/21☁
・韓国のお友達を案内した。おっきなケーキを食べた
・仕事以外の連絡がなくて寂しい


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