手に取ったのは正直、興味本位なところがある。障碍者福祉に関するイベントに参加し、障害を持つ方と距離が近くかかわることが増えた。イベント以外にも打ち上げに行ってお酒を飲んだ。これまでこんな経験がなく、当たり前なのだけれど、「お酒飲めるんだー」と思った。障害を持つ人を「お酒が飲めない」「呑み会に行かない」と勘違いしている自分に気づいた。 どこまで一緒で、どこからが違うんだろう。ていうか、そもそも違いってあるのか。手段や方法が違うだけで感情も欲望も違いはないのではないか。そう考え
「○○(筆者地元)にIKEAってあるらしいな!?」「そうなん?」「あの青と黄色?見えへんかったな」「ちゃうかー」「まあ別にどうでもええけど笑」確実に地元民ではないお姉様方、母の一回り上の年くらいの方が4人、旅行に来たのであろうスーツケースをもって四人がけの席で話していた。 「はよ自由になりたいわー」「なんか一人は嫌やけど、二人っきりも嫌やねんな」「だから子供が新しいんやん」 旦那さんがいたら絶対言えない会話が繰り広げられる。気の置けない友人として言いたいことを言っているの
・逆にこれまでどうしてきたの? ・カナダで出会った友達は、すべての各家庭に運転手がいて、どこへ行くにも送ってくれた、運転は一切しないと言っていたがこれが理由だったのか? ・サウジの女性は法律を学び弁護士として働いていた。何をするにしろ職は必要だし勉強する必要がある、自立する必要があると言ってて、意識が強いのをかんじた。勉強に対する意識やTikTokもよくみてて、情報収集能力が高いことも想像できる
今日一番の財産、この言葉。なぜかというと、自分の軸がこれに近い(もう少しぴったりした表現がある・見つけたいと思ってる)からである。 思い返せば1年半前、プロジェクトをする中で自分自身に問うたことがあった。「なぜこの活動をするのだろう」「なぜ私がやる必要があるのだろう」 出てきた答えは、「社会貢献」「これまでやってきてるし他の学生よりは知ってる」というものだった。「なんか楽しくてやってしまう」という答えをないがしろにして、社会貢献や他者からの評価を軸に考えてしまっていたのであ
ご無沙汰しております。おひさです。あんなに毎日書いてやろう!という意気込みが粉々になるほど手が付けられない感情のふり幅で困って疲れて暮らしていて、今やっと一息?(でもないかもだけど)できたので、ちょっと落ち着いたので指を走らせておりますん。私の感情を取り巻く者たちを言語化していきたいと思ってるのと、考え付いたこと、などなどメモしていくのでゆるーりとみてってね。 ・「憧れ」への執着 一番のきっかけはこれだったんですよねー。言うてしまえば、一日だけ誰かになれるとしたら誰になりた
復活しました元気です! 朝からすべきこと、すべき連絡をできるのがとてもうれしい! よかったね。 家でご飯を食べることが大事な気がする。
いま、もんのすごく不安です。どれくらいかっていうと、今すぐ暗闇で寝込んでしまいたいくらい、家から出たくないくらい、今の曇り空なくらい。 急にすごく不安になる瞬間があって、部屋にこもって大泣きしたくなる瞬間があります。 なんでだろう 自信がない、人と比べてしまう、あの人はこうなのにな―――― 色んな感情があるんですが、今思い出したのは、敬愛するメンターさんに言われた、「身近に頑張りを評価してくれる人とか、ほめてくれる人を近くに置いたらいいよ」という言葉です。 それを聞いて、
あー、レベル低いかも、みたいなことを感じることがあります。とても失礼な言い方だし、もちろんそれがすべてでなく親切な人や優しい人、しごできやん!みたいな人もたくさんの職場なので言葉を選ばないとなのですが。 具体的に何が?というと、 ➀「だってだれもできへんねんもーん」という言葉 「この仕事が人足りてなくて・・・」「じゃあみんなにやってもらったらええやん」の文脈でこの言葉が飛び出しました。えええ!ドン引き!(笑) その方は後々知ったのですが社員さんでした。ああ、この人は他責の
わたし、輝いてんなーーーーみたいな瞬間って、あったりしますか? 最近(昨日)気が付いたので、書いてみます(ちなみに書いてなかった三日分一気に書いててもう疲れてきてもいたりする) 直近(昨日)感じたのは、「いろんな人と話してる、わたし。」です。イベントにてたくさんの企業の方と話す機会があったのですが、あまりにも楽しくて、時間が過ぎるのが一瞬に感じました。 何が楽しかったのかを出してみると、 ・新しく知り合うこと ・熱量が高い人に出会えたこと ・顔見知りになって挨拶ができること
先日のnoteの続編、みたいな扱いで呼んでくださいね。(といって自分が内容忘れてるので読み直してきます。。。) 読み直してきました。案外、「以後ごちのいい場所が毒かどうか」よりかは、「自分にとって居場所とは」とか、「所属意識」の話がメインでしたね。まあなんていうタイトルと内容のギャップに突っ込みながら、ちゃんと書くならいっぱい書いて書き直して作り上げていきたいなあと思いながら(この文章全部寝る直前に書き上げてて、基本チェックしていないのです)始めてゆきます。 ステップ1.
矛盾って、いいですよね~少なくとも、「ギャップ萌え」という言葉がある通り、相反する二面性をもってる(ようにみえる)人が魅力的に見えるくらいには矛盾って面白いのかなと考えたりします。 わたしが「むむ、矛盾ってキーワードだな」と思ったきっかけは、「いいところどり」したいと思ったからです。※ここから言いたい言葉が「矛盾」じゃなくなってしまうかもしれないのですが、ごゆるりとおつきあいください。 これまで参加者や、フォロワーとしてイベントや企画に入ることが多かった私ですが、直近(昨日
最近、どんなことも笑い飛ばせるくらい楽しく生きれるようになった。その代わり、どんなことが起こってもへらへらしてしまう自分がいることに気づき、嫌になる。どんな状況になっても、緊張するときも、気分が悪いときも、嫌な思いをさせられたときにも、そこにおもしろいポイントを見つけてうまく自分の中で消化して楽しんでいたつもりだった。でもそれって正しいのかな、と思い始めた。今ではどんな状況でもへらへらしてしまう自分がいて、それが怖くなった。昔から笑顔がチャームポイントだった私の、笑顔、正しく
タイトルの言葉って私が最近目にすることで、ほんまかなと思うことなのですが、まあなぜこのタイトル設定に?という説明から始めるかというと、今日まさに新たな居場所とそこでの立ち位置みたいなものを見つけ出して、すごくうれしくなったからです。うれしさやわくわく感を持つと同時にこれって毒なのかなと思いここに書き記すことにしました。 検証その1.なぜ毒といわれるのか? 自分がいやすい場所でいやすいように過ごすため、成長しない、変化しないことが毒といわれるゆえんなのかなと。あ、これ言ってる
最近、愛されたいなーっていう願望が垂れ流しになるくらいどでかくなってしまっています。例えば、道を歩くカップルを見て、「このひとたちはいいなあ。特に人生頑張ってなくても愛されて」て思うくらいひねくれてしまっています。 そこででてきたのが、タイトルの問いなのです。 私自身は人を愛することに自身があります。家族に会いを伝えるのはもちろんのこと、バイト先で関わる人でさえも全員愛しいと思うくらい愛してるし、友達のことも(基本的には)どんな時でも丁寧に返信するし、誕生日も全力でメッセー
本番が終わった。9月14日、それまで約3か月の間練習してきた、楽しかったダンスが終わってしまった。たっぷりの爽快感と、ちょっぴりの喪失感。そんなはざまで今、思ってることを書き記そうと思います。 「ダンスかー、自分踊れへんし興味ないしこれ読むんやめとこか」とおもったそこのあなた!ちゃうねんで、こっからおもしろくなるねんから、一回見てってよ! それでは、どうぞ。 ダンスの魅力 ➀体を動かすことによるリフレッシュ ➁創作の楽しさ ➂コミュニティとしての楽しさ ➃高校時代を思い出
※ここでのexcuse(事情、言い訳、理由)(自分の中でぴったりの日本語が見つからずなぜか英語に。。。 最近、とても尊敬していて人として好きだった人に裏切られる(言い換えると、その人の見たくない/知らなかった一面を存分に知ってしまう)という経験をしました。それはまた別の記事で詳しく書くかもしれないのですが、そこで感じたことを書いていこうと思います。 その出来事から3週間ほどたった後に、その人と話す機会がありました。その日とは当時の自分についてこう語りました。 「いやー正直